ご主人様に優雅に挑戦



「それで、俺は一体何をしたらいいんですかィ?」


 なんにも言ってこないことをいいことに、文字通り何もせずに屋敷に通い出して1週間。

 冗談抜きでお嬢様には執事が必要ないらしい。
 一応、不快なことに執事長なぞを勤めている土方は初めから何も教える気がない。教える気がないと言うより、教えられる事がないのだろう。
 屋敷の中で辛うじて彼女に「何か」をしてあげることが出来ているのは恐らくコックと洗濯係のメイドくらいだ。

 広い屋敷。
 基本的に習い事と家庭教師の授業で籠もりっぱなしのお嬢様。
 偶然ぱったり会ったとき、チャンスとばかり聞いてみた。
 すると、彼女はじっと俺の顔を見つめ、たっぷり10秒は経った後、目を瞑って首を傾げた。


「・・・・・・ああ!」


 そして突然声を上げたかと思うとぽんっと手を打った。


「まだいたんですか」


 心底意外そうな言葉にカチンと来る。
 応接間でのたった一度顔を合わせただけ。あの時以来一度も会っていなかったのはすでに辞めたからだと思われていたらしい。
 当然辞めてないからそんな話が出るわけがない。
 つまり彼女にとって俺はいてもいなくても、辞めたと言質を取れようと取れまいと関係ないということで。
 もともと執事なんて職業に興味も誇りも無い。
 だけどここまで無関心にさらされ、自分でも驚くほど頭に来た。


「おい」


 さっさと立ち去ろうとする後ろ姿を呼び止める。無視されることはなく、彼女は立ち止まり、肩越しに振り返った。


「覚悟しなせィ。俺ァ人一倍負けず嫌いなんでィ。アンタがクビって言うまで辞めやせん」


 宣戦布告に、彼女は首を傾げる。


「・・・・・・?私に手を出せば、問答無用で辞められますけど?」


 だからそう言うことが言いたいんじゃねー!



◇◇◇



 土方のヤローは当てにならない。
 ずっと屋敷にいながらあの敵対ぶりだ。
 明確に敵意を向けられているだけ、俺よりはいくらかマシな扱いだと言えるが、それが余計に頭にくる。


 リサーチは完璧。
 念入りに計画を練り、準備は万端。
 コックとも話はついている。

 後は主役の登場を待つだけ―――

 それも程なくやってきた。

 近藤さんが絡まなければ彼女の行動は基本的に5分前行動。確か今日は英会話のレッスンだったはずだ。
 ノックもなく、扉が開かれる。
 中に人はいないと思っているから当たり前だ。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 言い馴れない台詞に舌を噛みそうになる。
 無人だと思っていた部屋に俺がいたからか、ふてぶてしい主が固まり、その姿に勝った気になる。
 何の勝負なんだか。


「・・・・・・今日はどこにも出かけてないけど?」


 ってそっちで固まってたのかよ。

 そんなことは百も承知。
 このお嬢様、俺が屋敷に来て以来、一度も外出していない。
 世に言う引きこもりというやつか。
 いや、そう冠するには彼女は活動的すぎる。
 室内に限ってのことだが。
 それはともかく。
 訝しげに固まるお嬢様に笑顔を向けて、席へ案内する。その笑顔の胡散臭さにか、彼女の顔がさらに引きつった気がするが気のせいだと流す。


「今日のお昼はオムライスでさァ。追加料金でケチャップでお絵描きして差し上げれるとこですがお嬢様は特別サービスでタダにしてあげまさァ」

「・・・・・・は?」


 昼飯はオムライスにしてくれとコックに頼んだ時のあの渋い顔。
 しかし出来上がりはこれ以上ないくらい立派で、立派すぎて俺の想像していたものと違った。
 ふんわり半熟卵はその下のチキンライスをきれいに覆い隠しているものの、俺の考えていたグビーボール型からは程遠い。
 しかしそんなことは計画の何ら妨げにもならない。


「ちょうど良いとこでストップって言って下せィ。書き終わったら止めやすから」

「ストップ」

「まだ初めてもいやせんぜ〜」


 斜め下から見上げているにも関わらず、見下すように寄越してくる呆れ果てた視線を受け流しながらチューブから直接ケチャップを搾り出す。


「・・・・・・」

「――――――よし、完成でィ」


 黄金色のキャンパスに作品が完成し、顔を上げて浮いてもいない汗を拭うと、お嬢様は待ちくたびれたように頬杖を付いていた。
 視線が更に呆れた色を含んでいる気がする。


「もう食べでも?」

「もちろんでさァ。冷めないうちに食べて下せィ」

「もう冷めてますよ」


 作品に集中するあまり、時間を失念していた。
 ほかほかと温かそうに昇っていた湯気はいつの間にか消えていた。


「・・・・・・」

「ささ、なに遠慮してんですかィ?」

「・・・・・・これは、何かのイヤガラセ?」


 オムライスの上一杯に画いたのは「総悟」という二文字。言うまでもなく、俺の名前だ。


「これは・・・・・・相手に名前を食べさせることによって成就する呪いとか?」

「へえ・・・・・・アンタ俺の名前知ってたんですかィ」

「自己紹介したでしょう」


 当たり前の事を事を聞くなと言わんばかりの態度で会話を打ち切り、いただきますと行儀よく手を合わせてスプーンを手に取る。
 俺の名前を覚えていたことは心底意外だった。


「・・・・・・辞めてく執事のことなんて興味ねェと思ってたぜィ」


 黙々とオムライスを頬張る姿を眺めながら零した呟くと、皿に釘付けだった視線が上がった。
 そしてパチパチと瞬き、また首を傾げて考えるような動作。


「・・・・・・ああ、辞めるんですか」

「辞めやせんよ。アンタがクビって言うまでね」

「クビにされたいの?」

「まさか」

「なら黙って今まで通りにすればいいわ。私からクビ切ることはないから」

「それじゃあ面白くねェんでさァ」

「仕事は往々にしてつまらないものです」

「そういう話をしてるんじゃありやせん」

「それは失礼」


 そのセリフを最後に再び半分に減ったオムライスに意識を戻してしまった。
 そこではっと気付く。
 本当にそんな話をしている場合ではなかった。
 俺の署名付きオムライスで名前を覚えさせようという作戦がすでに覚えられていたという予想外のハプニングの所為で立ち消えてしまった。その衝撃でうっかり忘れていたが、俺の最終目標は「俺を執事として認めさせること」だった。
 急いで作戦に戻る。


「食べさせて差し上げやしょうか?」

「頭大丈夫ですか?」


 失礼極まりないセリフに思わず顔面をつかみかかりそうになったが理性を総動員して押し留めた。執事は多分暴力に訴えたりはしない。

 ふるふると拳を震わせ葛藤していると、ごちそうさまでしたと行儀のいい声がした。


「今食後のお茶汲んで来るんで待ってて下せィ」


 空になった皿を持ち、有無を言わさず食堂に向かう。
 作戦第2段スタートだ。



「お待たせしやした」



 空いた皿を下げ、見よう見まねで用意した紅茶セットを運びこむ。
 生まれてこの方触ったこともないような陶器のティーセットで一人分の紅茶を注ぐ。触れただけで砕けそうな繊細な感触のそれは、俺なりに細心の注意を払って扱っているというのにカチャカチャと決して小さくない音を立ててしまう。
 なんとかヒビもいれずに準備をすます。


「ミルクと砂糖は?」

「ミルク2つ、砂糖1つ」

「へい」


 自分で聞いておいてなんだが、ミルク2つとは意味が分からない。コーヒーチェーンやドリンクバーで見かける小さいパックのミルクは無い。仕方がないから牛乳パックをそのまま持ってきたのだが、まさかこれ2本分というわけではないだろう。1つじゃないということは多めだろうと当たりを付けて縁ギリギリまで牛乳を注ぐ。
 砂糖はスプーンに山盛り一杯。
 こぼさないよう細心の注意を払って混ぜるが、ジャリジャリとした砂糖の感触がなくなった頃、真っ白いカップの外側には薄茶色の筋がいくつもできていた。


「お待たせしやした」

「・・・・・・」


 できあがった紅茶を持って歩み寄るとオムライス差し出したとき以上に、呆れ果て、むしろ諦めすら見え隠れするような視線を投げられていた。


「ささ、遠慮しねェで下せィ」

「いえ、なんか遠慮したいんですけど」

「まあまあ。見た目は悪ィけど材料はここのもんだからきっと大丈夫でィ」


 大きなテーブルのお誕生日席に座っている彼女の右隣に腰を下ろす。
 いくらか白すぎるミルクティーを縁一杯に湛えたティーセットを、彼女の手には渡さず、自分の手元に置いたまま。その動作を眺めていたお嬢様の眉がピクリと動いた気がした。


「はい、あーんでさ」

「・・・・・・は?」


 作戦第二段。
 小さなティースプーンで紅茶を一掬いし、小首をかしげながら差し出す。

 今度こそ、お嬢様の動きが止まった。


(勝ったっ!)


 あまりにも鮮やかな硬直振りにまたしても本来の目的を忘れてしまった。
 少なくとも、むかつくくらい無関心な彼女の表情どころか動作も変えてやった。
 しかしその反応も一瞬で。
 静電気の衝撃が去るくらいの早さで正気の戻ると、テーブルに肘を突きこめかみを押さえた。


「食事中に肘なんてついちゃダメですぜ」

「・・・・・・今度は、何の嫌がらせ?」

「だから嫌がらせなんてしてやせんて。せっかく人ががんばって執事やってんのに」

「誰に吹き込まれたんですか。土方さんか?あのヘボ執事長が」


 何やら不穏な、だけどものすごく共感できる呟きを漏らしながらひと月分の幸せが全力疾走で逃げて行くような溜息を吐き出す。


「土方なんかに頼るわけねェだろィ。失礼な」

「あなた、執事じゃないの?」


 どうやら俺が本気だと言うことをやっと分かってくれたお嬢様は、初めて俺自身に興味を向けた。近藤さんのことだから、これまで彼女に付けてきた執事はどいつもこいつも一流のやつ等だろう。どうも様子がおかしいと言うことにやっと気がついたらしい。


「いや、1週間前まではただの学生でした」

「・・・・・・じゃあこれは何の入れ知恵?」

「勉強したんでさァ――――――メイド喫茶で」

「は?」


 呆気に取られた表情で、マジマジと俺の顔を見つめ、また目を瞑り首を傾げると、口元が歪んだ。プルプルと小刻みに震える様子は、笑いをこらえる所作に違いなく。


「そ、それを言うなら、執事喫茶じゃなくて?」

「あんな女客ばっかのとこに行けるかよ。執事もメイドもおんなじ様なもんだろィ」


 さすがの俺も1人であの大手執事喫茶に足を運ぶ気にはなれなかった。執事もメイドも人の面倒を見ると言うことでは同じだ。
 そう思って有名どころを3つばかり選んでリサーチした結果だったのだが。じゃんけんとか突然メイドがステージで踊りだすところもあったがそれは微妙に違う気がして止めておいた。


「と、とりあえず、色々間違ってるからっ」


 何やらお嬢様は息も絶え絶え。
 こんなに笑っているところは初めて見た。
 何がそんなにツボにはまったのか、ついには声を上げて笑い出してしまった。

 楽しそうな彼女と逆に、どうやら色々外したようだと悟った俺は未だ手元にあったティーカップを口に運んだ。

 確かに、紅茶の淹れ方は間違っていたらしい。







後書戯言
私は執事総悟をどうしたいのか。
頭から最後まで彼は本気です。
08.07.03
目次

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