キミとボクを隔つ糸
どんより重い空からポツリと音がするほどの雨粒が落ちると、それは瞬く間に叩きつける様な土砂降りになった。
視界の悪い江戸の町。
傘は手がふさがってしまうから、痛いほどの雨から身を守るのは薄い雨合羽一枚。
人通りの少ない町をこんなずぶ濡れになってまで見回る必要があるのか甚だ疑問だが、たまにはいいだろうと真面目に働く。
そしてその判断は正しかった。
灰色に煙る視界の向こうに気づいた自分を褒めたい。
誰も出歩かないような雨の中、まるで雨など降っていないような態度で歩く後ろ姿。
何の特徴も無い格好でも、それがであることは考えるまでもなく分かった。
「お嬢さん、傘とか差さねェんですかィ?」
耳障りな雨音にかき消されないよう、わざわざ正面から回り込んで声をかける。
その判断は正しかったようで、声を聞いたというより、視界に人が入ったからという様子で立ち止まった。
雨など全く気にせず、まっすぐ顔を向ける姿勢に違和感がある。
「カッパ・・・・・・かわいー」
「うるせェ」
俺の姿にくすっと笑う表情にゾクリとする。
「雨、降ってますぜ?」
「知ってるよ」
「帰んねェんですかィ?」
「・・・・・・ん」
「風邪ひきやすぜ」
「ここまで濡れたら手遅れだ」
「冷たくねェんで?」
「・・・・・・そうだな。あんま感じねーや」
一歩近付けば一歩引かれる。
「なんで逃げるんでィ」
「逃げてない。でもあんま近付くな」
「なんで」
「誰のそばにもいたくない時ってあるだろ」
「ねェよ」
バタバタと自ら生んだ水たまりを叩く雨足は強くなっている気さえする。
カッパ越しに叩く雨粒はすでに痛みを覚えるほど。
ビニールを叩く音での声が遠い。
彼女はこの雨を直に受けているわけで。
誰にも、俺にすら近付きたくないという言葉は、雨に邪魔されて上手く届かない。
意味が分からない。
「じゃあ近寄んねェから、もう帰りなせィ」
「やだ」
人気が少ないとはいえこんな天気だ。
何があるか分からない。
「」
「雨が止んだら、帰るよ」
ふわりと浮かべる表情は視界を遮る雨を通り越して飛び込んでくる。
大人びた微笑はやはりこんな雨に打たれながら見せるような物ではなく、綺麗だと思う反面それを見てしまったことをひどく後悔した。
「ならせめて雨宿りとか」
「それじゃ意味ねーだろ」
雨に打たれる意味など分からない。
ただ対峙する俺に苛立ってきているのは分かる。
浮かんだ微笑は張り付いたまま。
それが明らかな拒絶だということは最初から気が付いていた。
こんな雨に身を任せ、反面俺を拒絶することを認めたくなかっただけ。
無意識のうちに、着ていたカッパを脱ぎ捨てる。
薄いビニール一枚取り払っただけで急に雨が近くなる。
耳にも、肌にも。
「なに、やってんだ?」
「の真似」
「不愉快だ」
「お互い様でィ」
ようやく雨の鬱陶しさに気づいたように、顔が歪む。
鬱陶しいのは雨ではなく、俺かもしれないが。
肌を打つ雫に痛みさえ覚えているようで、刻一刻と彼女の傷が深くなるようだった。
そう、きっとは何かに傷ついている。
それは昨日今日のことかも知れないし、古傷が疼いているのかも知れない。
一緒に泣きたくなるような話しかも知れないし、俺にとっては理解できないような取るに足ないことかも知れない。
それでも彼女は何も言わず、言おうともせず、ただただ天と地を結ぶ糸に身を打たれるままになっていた。
俺の行動には、一つも意味などなくて、ただ滑稽なだけだと分かっていてもを置いてひとり屋根のある家に戻る気にはなれなかった。
雨が止めば、どこか遠くを見ている視線は俺を捕らえ、拒絶しか表さない表情は俺の中に滑り込み、照れくさそうに笑って素直にありがとうと言うだろう。
厚手の隊服にも雨が染み込み、下着の中まで浸食してきた。
俺より軽装で、ずっと長い間雨に打たれていたはもう水中に身を浸しているような状況。
「はやく、止むといいな」
小さな声は水の糸を伝って確かに届いた。
顔は上げているのに視線を合わせないに、「ああ」と気の抜けた相づちを打つことしかできない。