さびしんぼさくらんぼ
「あ〜……ちゅーしてェ」
白昼、路肩に停車したパトカーにもたれた黒い服の警官から発せられた言葉。
不幸にも可聴範囲にいた通行人は、欲望丸出しな台詞の犯人へ自然と目を向け、不自然な程必死で見なかった振りをする。
声の出所は一見して『そう』することに不便などなさそうな外見をした青年だった。
だが気怠げな中に隠しようのない本気がにじむ表情と、まるで世の中のカップル死に絶えろとでも言い出しそうな声色に、罪無き一般市民達は得体の知れない恐怖を感じた。
「すりゃいいじゃねーか」
身も蓋もない答えを返したのはこちらはパトカーの脇に立ち、周囲を忙しなく動く数人の黒服に指示を出していた人物。
「相手がいんだからよ」
3M(ムサいモテないマジ勘弁して下さい)の隊内にいて数少ない彼女持ちが何を言っているのだ、と。
「相手っつっても、俺の相手は土方さんのヤニやマヨと違っていつでもどこでもちゅぱちゅぱさせてくれるような尻軽じゃねェんでさァ」
風向きの所為で流れてきた煙に気怠げだった無表情が歪む。
彼女はこの男からの移り香を嫌うのだ。
「・・・・・・なんか知らんがマヨネーズをバカにされたことだけは理解した。てか尻軽なんかじゃねぇ。マヨネーズは貞淑だ」
「・・・・・・なんか知りやせんが土方さんがバカだということはわかりやした」
「上等だァ――表出ろ。決着つけっぞ」
「もう出てまさァ。これ以上外ってのは宇宙にでも出るんですかィ?俺ァ宇宙じゃ息できねェんで負けでいいでさァ。土方さんだけで逝って下せィ」
最初の切迫した雰囲気はどこへやら。いつも通り憎たらしいことこの上ない。
憎き副長をおちょくるためならば、負けを認めることすら厭わない。
もっとも、軽口の上でのみの話だが。
「あーあ・・・・・・ちゅーしてェなァ」
「・・・・・・どうせ今日も会うんだろうが。そん時いくらでもすりゃいいじゃねぇか」
付き合って間もない訳でもあるまい。記憶にある2人は、今更キスするしないで揉めるような関係ではなかったはずだ。などと部下の恋愛事情が、脳裏に浮かぶ自分が少し嫌になり、土方はまだ半分ほど残っているタバコをもみ消した。
「分かってねェな土方。ちゅーしてェっつったら漏れなく押し倒して縛り上げて色々突っ込んで泣いて気絶するまでグチャグチャにヤりてェって意味ですぜ?俺をいくつだと思ってるんでィ」
いくつとか、そういう問題ではない。
のどかな陽光を注ぐお天道様の下で発するにはあまりに過激な内容に土方の頬がひくりと引きつる。
「・・・・・・お前普段そんなことしてんのか?」
「してる訳ねェでしょ。してたらこんなに溜まってやせん」
「してねェの!?」
口にしているような事をしていたならそれはそれで問題だが、彼はサディスティク星の王子さまとあだ名されるこの問題児だ。
先に挙げた凶行に及んでいないことの方が驚きだった。
「マジで?」
「マジでさァ」
はぁ・・・・・・とアンニュイなため息を吐くつむじを信じられないものを見る目で見てしまう。
「キスくらいアイツもさせてくるのは分かってんですけどね、絶対ェそれ以上のコトしでかす自信があるからできねェんでさァ」
もう完全に病気である。
土方はこの最も似合わない不治の病にかかってしまったらしい部下に言葉を失った。
彼は今誰に胸中を打ち明けているか自覚しているのだろうか。上司どころか、一年長者、いや、ひとりの人間として認められているかも怪しいと言うのに。
これは相当重傷だ、むしろ末期だと内心ドン引きな土方を尻目に、沖田は相変わらず同じ台詞を繰り返す。
これ以上隊の品位を落とさないためには、このあらゆる意味で危険な男の欲求をどうにか発散させるためには、どうしたらいいだろう。
吐き出した紫煙を吹き散らし、「とりあえず、今晩飲みに行くか」と誘ってみれば、「何言ってんですかィ、俺ァまだ未成年ですぜ」と至極まっとうな答えを返され、一層途方に暮れたのだった。