爽やかな風が吹き抜ける美しい湖畔の宿には似つかわしくない風体の二人だ。 温泉を楽しもうとやってきた観光客はこんな所にまで現れた真選組の制服に引きつった顔をして遠巻きに眺めている。 土方がタバコに火を付けながらそんな観光客に文句を呟くと沖田はさして気にもしていない風でこれから向かう宿の建物をジッと見上げた。 「ナンパレス・・・最近よく聞く名前だぜ」 一昨日、沖田の近所に住む
が嬉しそうに家族と出発する様子を沖田は憮然とした顔で見送った。 “あのね、あのね、何か知らないけど先進星首脳会議が洞爺湖で行われるでしょ?その洞爺湖温泉の宿泊券が当たったの!4名様ご招待!” 沖田に、いや誰彼構わず嬉しそうにその宿泊券の当選ハガキを見せびらかしていた
の顔が思い出される。 「確かナンパレスって言っていたよな」 湖畔に建つとてつもなくでかい宿である。 攘夷志士が集結しているという宿もこのナンパレス、そして
が一昨日から来ている宿もこのナンパレス、沖田は妙な勘が働いてこの男にしては珍しく厳しい顔をした。 「それにしても、山崎の奴、どこで油を売ってるんでしょうね」 「この宿に攘夷派が集結してるって情報寄こしただけで後は音沙汰なしだ。湖畔でミントンしてんじゃねーだろうな」 先に派遣されていた山崎からの連絡が来ないため、二人は山崎との合流を待たずに行動に移ることにした。 「おい、行くぞ」 土方はタバコを根本ギリギリまで吸い終わると足元に捨てて歩き出した。
宿に入るとすぐに支配人が出てきた。 この街をあげて首脳会議の成功を願っているのだ。 それを妨害しようとする攘夷志士が宿泊しているとあれば協力的なのも頷ける。 それらしい風体の男達が一昨日から別館の7階に宿泊している、と仲居が情報を寄せた。 「一昨日?」
が家族と共に来たのと同じ日ではないか。 沖田に嫌な予感が走った。 最上階である7階は特別室が3室あるだけだと言い、そのうち701と702号室は攘夷志士と思しき男達が、そしてもう一つの703号室には家族連れが泊まっていると言う。 「その703に泊まってるのはもしかして両親と姉と弟って言う家族じゃねえですかぃ?」 「はい、その通りですよ。お名前は何と仰ったかしら。担当が違うんで分からないんですけど確かに4人家族でお見えになっておりました」 沖田の顔に一瞬不安そうな表情が浮かんだことを土方は見逃さなかった。 「とりあえず一般客に被害が及ばないよう注意しておくか」 土方は沖田の心配が何なのか気にもせず703号室へ向かった。 ドアをノックするとしばらくして妙に緊張した声で「はい?」と女性の声で返事があった。 「すみませーん、こちらにお泊まりのお客様の中に
さんはいらっしゃいますかぁ?」 土方が声をかける前に沖田がまるで緊張感のない声で質問した。 人が中で動く気配がしたが返事はない。 「すみませーん、
さんにお届け物なんですけどぉ」 またも緊張感の欠片もない声で沖田が声をかける。 土方は沖田を怪訝そうな顔で見ていた。 「あの、
は確かにおりますけど・・・」 「お届け物です。開けてくださぁい」 一人、いや二人、ドアの近くにいるのは少なくとも二人以上だと気配で感じた沖田も土方も刀に手をかけた。 やがて更にドア越しの人の気配は増え、四人以上がそこに居ると沖田は踏んだ。 カチリと鍵が開く音がしてドアがほんの少し開いた、と同時に土方がドアに手をかけ強引に開け放ち沖田が中に飛び込んだ。 ドアの側にいたどう見ても観光客には見えない男二人は一瞬にして沖田が倒した。 が、その後動けなくなったのは沖田だった。 「真選組の沖田さん、あんたの大事な人の命が惜しけりゃそのままジッとしていてもらいましょうかね」 ドアの近くにいた残りの気配の内一人は
の母親、そしてもう一人は
の母親に刃を押しつけている攘夷志士。 さらに、廊下には隣の部屋から出てきた男が4人、中と外から沖田と土方を挟み込んだ。 「別にその人が大事な人な訳じゃねぇよ」 沖田がそう言うと中から
の声が響いた。 「冷血漢!一般人を巻き込んでおいて何よ、その言いぐさ!」 「いや、だからって見捨てるって言った訳じゃねぇですぜ?将来は義母上になるかも知れねぇんだから」 「おいおい、状況が分かって言ってんのか?」 人質を取られて踏み込めない土方だけが緊張した声を発した。 部屋の中には
と
の弟、それに
の父親の三人がやはり刃を押しつけられて強ばった顔で座っていた。 部屋の中には他に2人いて動きの取れない沖田と土方に刀を向けて近き、廊下からもじりじりと男達が迫る。 「動くなよ、沖田、土方。少しでも動けば人質の命はないと思え」 「チッ」 土方は
達家族に面識はないが、一般人を人質に取られては手も足も出ない。 「テメェら、覚悟はできてるんだろうな」 沖田は全身から殺気を滲ませその迫力に攘夷志士の足が止まる。 「やれるものならやってみやがれ。テメェら
に少しでも傷を付けてみろ、その瞬間全員命がねぇもんだと思うんだな」 「お、おい、貴様、それ順序が逆だろ?普通、人質に害を及ぼさない為に貴様が大人しくするんだろう、な?」 攘夷志士の叫びに
も同意して激しく首を縦に振った。 その瞬間、首筋に充てられていた刀の刃がほんの少し
の首に傷を付けた。 「イッター・・・いっ?!」
が小さく叫んだ瞬間、沖田と土方に向かっていた攘夷志士がバタリと倒れ、
を抑えていた攘夷志士は仰向けにひっくり返った。 雷の如く素早く閃いた刀の切っ先に土方ですら一瞬見惚れた、が、背後から襲いかかる攘夷志士に身体が自然と反応して土方もまたあっと言う間に2人を倒す。 「沖田ーっ!」 叫び声の後には
の父親を抑えていた志士が、そして土方の近くで
の母親を抑えていた志士は土方によって倒され、廊下に残っていた二人は勢いよく部屋に飛び込んできたものの土方の剣に倒れた。 残るは
の弟を羽交い締めにして刀を押しつけている一人だけだが、目の前の出来事に我を失っているのか固まったように動けない。 沖田は
を素早く腕に抱きとめ、そのままその攘夷志士を後ろ回し蹴りで吹っ飛ばした。 「大丈夫だったか、
?」 沖田が壊れ物を扱うようにそっと
を腕の中に抱きしめた。 そんな光景を別世界の様に見て土方が倒された志士たちから刀を奪い取った。 もっとも、全て気を失っているため慌てる必用はなかったのだが。 「だ、大丈夫・・・って、沖田さん!」 次の瞬間沖田の頬に
の平手打ちが決まっていた。 「何しやがるっ!」 「煩い、酷い、冷血漢!ああ言う時って人質の命優先でしょ?何で人質無視してんのよ!」 「こっちの方が手っ取り早いだろうが」 「早いとか遅いとかの問題じゃないでしょ!あんた、私を殺す気か!」 「だから殺させねー為にやったんだろうが、ゴチャゴチャうるせーよ。いいから来な!」 沖田は
の腕を掴んだまま部屋から出ていこうとした。 「おい、沖田!まだ仕事が残ってる・・・」 土方が無駄だと知りつつ沖田に声をかける。 「後は土方さんに任せまさぁ。俺はこいつの手当してきますんで・・・」
の首筋にはほんの少し血が滲んでいた。 「これくらい、大丈夫だってば。それより、母さん!父さん、大丈夫・・・って人の話を聞けーっ!」 沖田は
の抗議など受け付けずに
一人を部屋から連れ出した。 「
・・・あ、あの、一体これはどういう事なんですか?」
の父親と母親、そして弟は攘夷志士よりも寧ろ真選組の方が怖いと一塊りになってブルブル震えながら土方に説明を求めた。 土方は倒れている攘夷志士を全員ひとまとめにくくりつけてタバコに火を付けた。 「ったく・・・ああ、悪いがあんた達にもこうなった事情を聞かねーとならねぇ。少し付き合ってもらうぜ」
の両親と弟は一体何が何だか分からないまま、連れて行かれた
のことも心配しつつ土方の事情聴取に応じなければならなかった。 「それにしても・・・あの娘が自分で動いたから怪我をしたって言うのに、災難だったな」
に刃を押しつけていた攘夷志士に土方は思わず同情の言葉をかけた。 沖田の前で人質は無意味。 神技、とも言える太刀筋、人質を傷つける間を与えず敵を倒す。 攘夷志士が沖田を見くびっていたのか、いや、さすがの沖田も大事な人を盾にされては動けないと踏んだのが奴らの作戦の甘さだった、と土方はフゥと煙を吐き出した。
「傷・・・見せてみろ」 「血なんてもう止まってるよ」 抗う
の顔を無理矢理上に逸らさせて首筋に付いた傷を見ると、確かにもう血は固待って乾いている。 「ったく、刀を押しつけられているのに動く奴があるかってんだ」 「あれは沖田さんが悪いんでしょ!」 反論されるかと思いきや、沖田は落ち込んだ顔で
を放した。 自分の首筋を手で押さえながら
は目を逸らす沖田の顔を追いかける。 「俺の所為でオメェ達の家族を巻き込んで悪かったな・・・」 沖田の殊勝な態度に
は面食らった。 「沖田さんの所為って訳じゃないでしょ?」 「あいつら、オメェが俺の女だって知っててオメェら家族をこの宿に招待したに違いねぇ」 「そう言えば誰が懸賞に応募したのかなぁって話してたんだよね。これって攘夷派の人達の作戦だった・・・あれ、えっと・・・」
は途中で言葉を止め、沖田の言葉を口の中で反芻する。 「って、誰が沖田さんの女なのよ!そう言えばさっき変なこと言ってた!母さんのこと将来義母上になるって何よ!誰がそんな話承諾したの、えっ?」
がわめいている間耳に指を射し込んで聞かない態度をとっていた沖田だが、
が捲したて終わると
の顔を見てニヤッと笑った。 「攘夷志士の公認だぜ。って事はあらゆる情報機関のデータにお前は俺の女だって知れ渡っている事になってるはずでさぁ」 口をパクパクする
に沖田はにやりと笑った。 「諦めな。お前は俺の女でいいじゃねぇか」 「良くないっ!」 「今更だぜ?」 「今更でも、ちゃんと言われたことない!」
の発言には沖田の目も丸くなる。 「俺の女とか言ってる割には私のことどう思ってるのかちゃんと言ってくれたことないじゃん。私、そう言うのはぐらかされるのヤなんだよね」
がジッと沖田の顔を見つめてそう言うと沖田は突然立ち上がった。 「さーて、まだ仕事残ってるしよ、俺ぁそろそろ行くぜ」 「沖田さんっ!」 沖田を追いかけようと慌てて立ち上がった
は自分で自分の足に躓いて転んだ。 「イタタ・・・ヤダ、もう、膝から血出ちゃった!」 沖田は足を止めて仕方なさそうな顔をしながら素早く戻ってきて
を抱き上げた。 「テメェはとろいんだよ。何もねぇ所で転ぶなんざお笑い芸人でもこの頃やらねぇぜ」 「誰がお笑い芸人よ!もうー・・・沖田さんといると血を見ないでいられないんだから」 「俺がやった訳じゃねーだろ。いや、“やっちまえば”そりゃ血も出る・・・うごぉっ」
のアッパーカットが沖田の顎にクリーンヒットした。 「そう言う事ばっか言うから・・・そう言う事ばっか言わないでちゃんと告白してよ!」 沖田は
を抱き上げたまま溜息を一つ漏らす。 「土方さんの気持ちも・・・少し分かるな」 「ハァ?何が?」 いつどこで何があるか分からないのが真選組の仕事だ。 自分だけならともかく、大事な人を巻き込むことも有り得る。 「つまりだ、言っちまえば今日みたいな事があるってことお前さんに覚悟させるって事なんだよ・・・」
は沖田の言いたいことを瞬時に理解した。 「バッカじゃないの?もうどこの情報機関にも私が沖田さんの女だって知れ渡っているんだったら今更じゃないの?」 じっと見つめる
の目から視線を逸らすことができない。 「
、俺はお前のことを・・・」 ごくりと
が唾を飲み込んだその瞬間だった。 両手を大きく振りながら駆けてくる男の姿が目に映った。 「沖田さーん!ここにいたんですか?探しましたよ。聞いてください、攘夷志士が集結しているホテルはこのナンパレスの別館7階だとついに突き止めました!」 走ってきたのは情報収集のために先にこの地に派遣されていた山崎である。 「山崎、テメェ・・・」 「えーっ?何で、何で沖田さん怒ってるんですか?集結している攘夷志士は全部で10名で・・・」 「12名いたぜ」
の目に一陣の風が見えた気がした。 その一瞬後、煌めく湖畔までボロ布のような物体が「何故〜」と叫びながら吹っ飛んで行くのが見えた。 「沖田さん?」 「悪ぃな、
、また今度にしとくわ」 後ろ手に手を振りながら沖田は飄々とした体で去っていく。 「沖田の・・・バカーっ!」
の怒声と溜息が湖畔の風に紛れて消えた。 果たして今度があるのか、それは洞爺湖の仙人も知らない。 |