朝ご飯を食べて、一通りニュースを見て、さあ今日は何をしようかと部屋に戻ると滅多に鳴ることの無い携帯が着信を告げた。購入時以来聞いていない初期設定の着信音。
家族は別の音を振り分けているからこれは誰?
開閉式の機体を開くと、ディスプレイに「沖田総悟」の文字。
見慣れない文字にしばし首をかしげる。きっかり5秒後、そういえば新しく出来た「カレシ」だったっけ、と思い出す。それにしても画数の多い名前だ。習字の時なんかどうなるのだろう。
などと余計な事を考えて気をそらしても、ディスプレイの文字は早くメールを開けと急かしてくる。
どうかなんの変哲も無い挨拶メール程度のものでありますように――――――
・・・・・・初めてもらったメールは不幸のメールでした。
***
(やっぱり来なきゃ良かった)
私としたことが、あんなメールに惑わされてうっかり登校してしまったのが運のツキ。
3年にもなって教卓に上がって自己紹介をさせられるなんて。
「お前って言うアルか?今まで何で休んでたネ」
久しぶりに大人数の視線を受けて胃がキリキリする。あんなに大量の目玉を向けられたのはいつ振りだろう。
「何で無視するネ」
「!?」
いつの間にか4時間目も終わったらしく、昼休みが始まっていた。呼びかけられて顔を上げれば、お弁当箱を抱えてこちらを見下ろす牛乳瓶メガネの女の子。
「神楽ちゃん、お食事中はきちんと座りなさい。お行儀が悪いわよ?」
「はご飯食べないアルか?残すんなら私に寄越すヨロシ」
語尾がおかしい「神楽ちゃん」とやらを、別の女子生徒が諭していた。
こちらは落ち着いた雰囲気のお姉さん。
「あ・・・・・・の・・・私、職員室、呼ばれてるから」
何か答えなきゃ、とやっとの思いで搾り出したのは、そんな言葉だった。
***
不規則にたむろした生徒と接触しないよう、細心の注意を払って廊下を進み、たどり着いたのは屋上。
朝から、正確には10時ごろから緊張し通してした体が外の空気に触れて少し楽になった気がする。
ぎゅっと膝を抱え込み、意識して呼吸する口の中はカラカラに乾いていた。
(このまま昼休みまでやり過ごして授業が始まったら帰ろう)
鞄は教室に置いて来てしまったが、別にどうせ大したものは入っていない。
後の対処が決まり、ほうっと息を吐く。抱えていた足を解き、コンクリートの壁に背中を預けるとひんやりとした感触が伝わってきた。
「こんなところにいたんですかィ」
「っ!?」
気を抜いて脱力したところに、第三者の声。
驚いて声のほうを向くと、見慣れないけど知った顔。
淡い日の光を透かした髪が、キラキラしていて言葉を失った。
「探しましたぜィ」
「・・・・・・何?」
「何、じゃありやせん」
整った顔を不機嫌に曇らせ無断で隣に腰を下ろす。
別の私の屋上じゃないから不平を言える立場じゃないけど。
「昼飯は?」
「食べない」
「体に悪ィですぜ」
「別に―――帰ったら食べるし」
「もう帰るんですかィ」
「うん」
金曜にも思ったけど、やっぱり変な話し方だ。
隣で広げた弁当は、男の子らしく胃をジワジワ痛めつけそうなメニュー。
ああ、そういえば胃が痛かったんだっけ。
喉も渇いた。
アスファルトに転がるポカリが目に入る。
「あと2時間我慢しやせんか?」
「しない」
「まあそう言いなさんな。ポカリやるから」
「いや、もう帰る」
これ以上こんなところにいたくない。
早く家に帰りたい。
何で来ちゃったんだろう。あんなメール無視すればよかったのに。
乾いた口内で舌が張り付き上手く言葉が紡げない。
早く昼休み終わればいいのに。
「はあ・・・・・・じゃ、俺も一緒に行きまさァ」
「は?」
「だから、一緒に帰りまさァ」
「え?」
「その前に、これ飲みなせィ。顔色悪ィですぜ」
「・・・・・・あ、ありがと」
ポカリはあんまり好きじゃないとか、ましてや温いポカリなんて味わえたものじゃないとか、それ以前に飲みかけだなどといった言葉も出ないほど、体が水分を欲していた。
差し出されたペットボトルを呷ると、視界の端で沖田が満足そうに口元を緩ませた。
「あ」
「?」
行儀悪く箸を突き刺したから揚げをかじりながら沖田が小さく声を上げる。
目線で続きを問うと、沖田は箸をくわえて悔しそうに顔を歪めていた。
「失敗したー、順番が逆でィ」
「何が?」
「間接ちゅ―の前に手ェ繋がなきゃいけねーや」
「・・・・・・は?」
「そんなわけで、今日は手ェ繋いで帰りやしょう」
「・・・・・・ぷっ」
そんなことを真面目な顔で言っていて。
思わず吹き出してしまった。
「間接ちゅー」とか言う高3男子ってどうなんだろう?
幼いとも思える言葉が妙に似合っていて、それがツボに嵌ってしまった。
堪えようにも笑いが止まらない。
突然笑い出した私を沖田が憮然とした様子で見つめている。
外でこんなに笑ったのは久しぶりだ。
「今日は自転車じゃないの?」
そうこうしているうちに、沖田の食事は終わり、5時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。