人間とポケットサイズの妖精
−悦ばしき絶望−
沖田さん、と落ち着いた声で呼ばれたのは、小さな相棒が連れて行かれてからすぐのことだった。
検査が終わるには早すぎる召集に、が駄々をこねている様子が容易に想像できた。
が、殊更ゆったりとやる気なさげに診察室に入ると事態は予想以上に悪かった。
女医の困った様な顔を一瞥し、診察台に目を向けると、さっきまで自分より大きな人間の姿をしていた万事屋が何故か妖精サイズに戻っていた。何故か、など考えるまでもなく、大人しく診察なと受けるわけがないのためだろう。
せめて泣いて逃げ回っていたのなら勢いで捕まえてドサクサの内に済ませることが出来るかも知れない。
小さくうずくまってしまった妖精を、つい先ほどまでは自分より背丈のある人間サイズだった万事屋の旦那が覗きこんでいる。こちらに背を向けたの表情は見えないが、しっかりと握りしめられた小さな拳に、時折両のこめかみの辺りで抱えた頭をふるふると横に振る様子に、固く強張った背中に、何かとんでもないことが小さな相棒の身に起こっていることだけは理解出来た。
「―――あ、ほら、ちゃんの相方来たからっ!だからもう泣きやめって!な?」
診察室に踏み込んだ俺を見つけ、旦那が無理に明るい声を上げた。
いつもなら、誰よりも早く俺に気づいて真っ先に飛んでくるはずのは、しかしその言葉に、うずくまった体を一層縮こまらせてしまった。
ぎゅぅっと音がしそうなその動作に、すっと血の気が引く音がする。
「先生、俺の妖精に何をした」
冷えた声に周囲の音が消え、取り巻く空気すら動きを止める。
ただ一人、俺の様子に気づいただけが、そろそろと振り返った。
振り返った小さいけど大きな瞳が、遠目に見てはっきりとわかるほど涙に濡れていて、さっき引いた血が全速力で頭に昇ってきた。
「に、何した」
「何って、まだ身体測定しか出来てねーよ。今血圧計ろうとしたとこだ。言っとっけど痛いコトも怖いコトも一個もしてねェからな」
固まって答えられない女医に替わり、瞬く間に人間サイズに戻った旦那が女医と俺の間に立ちふさがり、耳を小指でかきながらダルそうに答えた。
突然変わった視界を占める人物に一瞬驚き、少し冷静さが戻ったのは悔しいから極力面に出さず、1人机の上に取り残されたに視線を戻すと、は相変わらず瞬間冷凍でもされてしまったように酷い顔色で固まっていた。
こんな顔をさせて、怖いコトはしていないなど、どの口が言うのだろう。
視線はしっかりと交わっている。涙に濡れた瞳はきちんと俺を捉えている。
それでも動けないという事は、きっと俺の何かに問題があるのだろう。
ただその問題が分からず、だからと言ってこのまま動きのないにらめっこを続けたくはない。
せっかく交差した視線を俺から外し、一度長めに瞬いて全てをリセットする。
昨日の自室での再現の様に、大きく息を吐き、ひとつ名前を呼ぶと、くしゃりと凍結が崩れた。
「、来い」
短く、命令するように言うと一瞬躊躇った後、ふわりと小さな体が浮き上がり、脱力した体をだらんとさせてふよふよと至極不安定にこちらに向かって飛んできた。
飛べなくなってはいないようだ。
しかし思うように進めないでいるので、腕を伸ばし、手のひらで受け止めてやる。
十数分ぶりに触れた温もりは、冷たく湿っていた。
「ほら。もう怖くねェから泣きやみなせィ」
冷えた体を温めるように、女医とその相棒から姿を庇うように、逆の手で包んでやるとようやく、俺と揃いのシャツの袖で大分放出した水分を拭き取り始めた。
「痛かった?」
少なくとも動いてくれているだけでいくらか安心して尋ねてみると、ふるふると首が横に振られる。
「・・・・・・怖かった?」
今度は小さく縦に、涙を拭く動きに紛れて分かりにくかったが、確かに頷いた。
「あと何が残ってんですかィ?」
「・・・・・・何もなにも、身体測定以外全部です。血圧と視力聴力に、レントゲン、心電図、採血に」
「それ、こんな状態でもやんなきゃダメなんですかィ?」
まだまだ続きそうな検査項目の羅列を無理やり遮った。採血の言葉が出た途端、俺の爪ほども無い手が、を包む手の中指にかけられたから。
女医は疲れの色が濃いため息をひとつ吐きながら、頭を振った。
それを合図に手の中で縮こまる妖精を肩に乗せてやる。もう泣き止めと、小さな背中を1つ叩いて。
「んじゃ、今日のところは連れて帰りまさァ。世話んなりやした」
許可は出ていないが一方的に長居は無用と踵を返す。もとより許可など待つつもりはない。
いつ訪れるか分からない、まして確実にかかるわけではない病気より、今この時、俺の小さな妖精をこんな恐怖に曝していたくなかった。
例えその怯え様が過剰でも、ほんの短時間のことでも。
きっとそういう意味では、俺は相棒失格なんだろうな・・・・・・と頭の片隅で思いながら、意識はどうやってこの完全にへそを曲げている妖精の機嫌を取ろうかと言うことに持って行かれていた。
だから背中から追いかけてきた「待って」と言う女医の落ち着いた声を無視することが出来なかった。
それは俺たち2人にとって幸か不幸か。
少なくとも俺にとっては、朗報だった。
「ちゃん」
声に振り返ると、女医が視線を俺の肩にいる妖精に合わせ屈み込んでいた。彼女の後ろでは再び妖精サイズに戻った旦那がふよふよと宙に寝そべったポーズで浮かんでいる。
「いいですか?定期検診はあくまでも健康診断程度ですが、妖精には人間に症状の出ない病気もあるんです。感染して発病してからじゃ遅いんですよ。沖田さんのためにも、せめて1項目毎でいいから、検査受けて下さい。ちゃんだけの問題じゃありませんよ?沖田さんまで死んでしまうのは嫌でしょう?」
「――――――え?」
ジッと女医の言葉を聞いていたが間抜けな声を出す。
きっと俺も彼女も同じ様な顔をしているのだろう。女医の涼しげに整えた眉が訝しげに歪められ、その後ろでいち早く俺たちの思い違いに気づいた旦那がやれやれとあきれ果てているのが目に入る。
「・・・・・・もちろんご承知だとは思いますが、妖精は人間が生きていれば大抵のことは平気ですが死ぬときは死ぬんです。そして妖精が死ねば人間も死にます。人間と妖精は一心同体なんですよ」
耳のすぐ側で小さく息を呑む音がした。
真選組という狭い特殊な世界に生きているからだろうか。俺たちの周りでは、いつも人間が斬られ撃たれ、または病で倒れ、その相棒たる妖精もぷつりと糸が切れた人形の様に無くなっていた。
「もちろん、知ってまさァ」
人間から妖精への影響力に比べ、その逆があまりに弱いから、妖精の死さえ人間を置いて訪れるのだと、思いこんでいた。
間抜けな話だ。
に至っては、自分のことだと言うのに。
俺は緩む頬を見られない様、今度こそ診療所を後にした。
「。もう検診行かなくていいですぜ」
共に逝けるなら何も怖い思いなどさせる必要は無い。
一番恐れているのはこの小さなだけど確かな温もりだけが消えてしまうことなのだから。