近くにいても遠い人
某月20日。
太陽はとっくに今日の任務を終え、お月様にバトンタッチして。天人たちに支配された空は濁って星を隠し、地上の星に照らされて仄かに明るい。
夕飯時はとうに過ぎ、薄暗い路地を囲む住宅からは暖かい笑い声が聞こえてくる。
そんな中を1人スーパーの袋を引っ提げブラブラと帰途に着く。
袋の中には1人分の食材。帰っても待つ人はいない。
でもそんなこと、今夜は気にしない。だって今日は給料日。むさくるしいおっさん達に混じっての道路工事はハードだけどその分手取りはいい。
人間懐が暖かくなれば、3割り増しで元気になれるもんだね。
***
「お帰りなせェ、。待ちくたびれましたぜィ」
玄関の扉を開けた途端、誰もいないはずの室内からかけられた言葉。
瞬間、私は体から力が抜けるのを感じた。
なんでコイツがいる・・・・・・・・・・・・。
真選組の黒い制服に身を包んだ少年。青年というには一歩届かない。ムカつくほど整った顔立ちにサラサラの色素の薄い髪。
きっと触ったらツルツルなんだろうなーって何を考えているんだ、あたしは。
「・・・・・・・・・・・おまわりさーん、不法侵入者ですー」
「おまわりさん、ここにいまさァ」
「なにしてやがる。公僕」
「ひでェや。俺はの留守をしっかり守ってやってたんですぜ」
「サボりか?公務員」
「今日は非番でさァ」
「ほー、制服で?」
まだまだ和装が多い江戸の町で真選組の制服はよく目立つ。
そして彼らは廃刀令のご時世に帯刀を許されている。
刀、侍の魂。
もっとも、今それは腰ではなく適当にちゃぶ台に立てかけられているが。
侍が刀を簡単に手放してもいいのか?まあ、すぐに臨戦態勢に戻れる距離だけど。
毛羽立った畳に腰を降ろし、勝手に淹れたお茶を飲みながらこれまた勝手に探し出したザラメ煎餅をザリザリと貪り食っている姿すら絵になり、―――むかつく。
私も諦めて簡易キッチンに荷物を置いて、ついでに来客用湯飲みを持って来る。私の愛用湯のみは現在不法侵入警官によって使用中だ。
「何しに来たんだよ」
「怒ってるんですかィ?」
「こんな時間に勝手に部屋に侵入されて怒らない女がいるとでも?」
「おや、一体どこに女がいるんでぇ?」
「目まで非番か?用が無いなら屯所に戻れよ、幕臣が」
さり気なく暴言の応酬をしながら占領されていた煎餅の籠を引き寄せる。
確かに今の私の格好は女には見えない、かもしれない。実用第一、お洒落とは無縁の好みをしている私の普段着は男物の袴姿だ。こっちの方が動きやすいし、何かと便利だから。
「総悟でさァ」
「んむあ?」
丁度口いっぱいに煎餅を頬張ったところだった所為で変な声になった。
「お・き・た・そ・う・ご。何度教えても覚えてくれねィ。アンタまさかアホですかィ」
「覚えてるよ。呼ぶ気が無いんだよ、真選組さん」
「何ででィ。一々役職で呼ぶほうが面倒でさァ。大体真選組は俺の所属組織の名前であって俺の名前じゃねぇ」
「はいはい。お・き・た・さん。これでよろしくって?」
「・・・・・・可愛くねィ」
「そりゃどうも」
こんな綺麗な男の子に可愛いとか思われるほうが怖いって。へそを曲げてそっぽ向く横顔は、私より年上の男の癖にやっぱり可愛い。
***
「―――夕飯、食わねーんですかィ?」
「キミが帰ったらな」
「一緒に食べてあげまさァ。孤食は非行の始まりですぜ」
「・・・・・・1人分しか作れねーんだよ」
「俺のことは気にしないでくだせェ。帰ったら山崎になんか作らせまさァ」
「そう?・・・・・・じゃ、お言葉に甘えて」
変にお煎餅なんて食べた所為で腹の虫が限界を訴えていた。
ちゃちゃっと手早く1人分の夕飯を用意する。
献立はいたってシンプル。卵と鶏肉さんのハーモニー、親子丼。ふわふわに仕上げた卵をご飯にかけて刻み海苔をパラパラとまぶして出来上がり。
「いっただっきまーす」
「・・・・・・相変わらず小食だなァ」
「むあ?ほんなほほはいひょ?」
「行儀悪いでさァ」
「うむむ・・・んぐ・・・・・・・・そんなことないよ?」
私はすぐにお腹が空くけど、一度に食べる量は少ない。男の人から見ればウサギの餌みたいな量らしい。
ウサギが一食どれほど食べるのかは知らないけど。とっても家計に優しい胃袋だと重宝している。
「今日給料日だったんだろ?もうちっと豪華なもん食やーいいのに」
「失礼だね。めっさ豪華じゃん・・・・・・・・・・・・ってなんでキミがあたしの給料日を知ってる!?」
「まあまあ、そこはそれ。企業秘密でさァ。いやー、俺真選組勤めててよかったなー」
「職権乱用!プライバシーの侵害だ!訴えてやるっ!!おまわりさーーーんっ!!」
「だからおまわりさんは俺でさァ。どれ、1口下せェ」
「あーーーーっ!1口デカっ!半分は食った!」
「うるせぃなー、3分の2しか食ってませんぜ」
「尚悪いわ、ボケェェェィ!!!!」
あー、もうやだコイツ。
こうやっていっつもいっつもいっつもいっつも私の食べ物を奪っていくんだ。
学習しないでコイツの前で夕食食べてる私も私なんだけどさ。
いや、違う。コイツが私のご飯時を狙って現れるのがいけないんだ。
大体、何しに来たんだよ。マジで。
***
「そういえば、最近放火が流行ってるの知ってますかィ?」
既に不良警官の胃袋に納められてしまった親子丼さんは諦め(だって返してもらっても困るし)丼に残ったご飯を頬張っていると、突然沖田が口を開いた。
まるで世間話をするような口調で。
「むえ?ほうひゃ?」
「あー、黙って食っててくだせェ。―――全く色気のねェ―――ここらはまだ無事だが段々被害が近づいて来てる。こういう安普請の長屋が狙われてるんでさァ」
安普請で悪かったな。
私の家は一般的な1Kの部屋が集合する長屋。他よりちょっと割高だけど、風呂トイレ付きが気に入って江戸に来て以来ずっとここに住んでいる。
周りの住民はそれぞれ好きなように生きていて、会えば挨拶はするけどお互い干渉はしない。
「失礼だね。住めば都っていうだろ?」
「俺としてはもうちょいと治安のいいところに移って貰いたいんですけどねィ」
あ、来る。いつものやつが。
「例えば、真選組とか」
「あーはいはい。ご馳走様でした。ほれ、食い終わったぞ。もう帰れ」
「何言ってるんですかィ。食後にはお茶と決まってるんですぜ」
「キミ、ずっとお茶飲んでんじゃん。勝手に」
「おっと、こんなところにの好きなお団子が「それを早く言え」
お団子に釣られる私に沖田がニヤリと笑う。隠し持っていた包みの包装紙は確かに私が好きなお店のもの。
私は急かされる前にいそいそとお茶を淹れなおす。
「なー、。真選組に入りなせェ」
モチモチとみたらし団子を頬張る2人。
「お断りです」
さり気なく切り出せばノリで了解するとでも思ったのだろうか。出会って以来、何度も繰り返されてきたやり取り。
「なんでィ。副長直々に勧誘何ざ破格の待遇ですぜ」
「副長じゃないだろ。隊長さん」
「もうすぐ俺が副長でィ」
「と・に・か・く、あたしは組織に興味無い。今の生活で十分」
「こんなボウフラのような生活がですかィ」
「何お前ケンカ売りに来てんの?」
ボウフラって何だコラ。
そのうち成長して飛び立つって意味か?つっても蚊じゃん。
「定職にも付かずフラフラフラフラと。そんなんじゃ里の親御さんも泣いてますぜ」
「いやー、どちらかと言うと草葉の陰で腹抱えて笑ってんじゃね?」
「・・・・・・・・・・・・」
惜しむ里も、泣いてくれる親もいないんだよ。
もうとっくに乗り越えたことなのに、別に私は気にしていないのに しまった という沖田の顔が妙に笑えた。
「定職って言うか、短期のバイトしか入れていないだけ。本業は別だって知ってんだろ?」
「その本業が気に入らないんでさァ。全く、探偵業なんて怪しげなモン万事屋の旦那たちに任せておけってんでィ」
「バーカ。万事屋さんたちとは専門が違うんだよ。大体あたしなんかが役人になんかなれるわけないだろ」
「何も役人になれとは言ってねェ。隊に入れば自動的にみなし公務員でさァ。面倒な手続きも試験もちょっとしかありやせん」
「あるんじゃん」
「ここらで身を固めましょうや」
「い・や。ほら、もう団子食って帰れよ。監察ミントンが寝ちゃうぞ」
「たたき起こすから大丈夫でさァ」
「あんま部下苛めんなよ」
度重なる勧誘に本格的に機嫌が降下してきたのを感じ取ってか、沖田は渋々と重い腰を上げる。
「大体、客に早く帰れたァ、礼儀がなってませんぜ」
「留守宅に勝手に上がり込んでたヤツに言われたくねえ」
「俺ァ、諦めやせん。絶対を入隊させてみまさァ」
「無理無理。やる気ないやつが入っても足手まといなだけだろ。それより仕事しろ、仕事」
往生際が悪い沖田はブツクサと文句を垂れながら台所脇の出口から出て行く。
「きちんと戸締りしてくだせェ」、と一応警官らしい言葉を残して。
戸締りしても勝手に入ってくるヤツがいたら無意味なんですけどね。