下唇にきゅっと力が込められ、への字を描く。
「そーご・・・・・・いっしょに、いこって」
風の音に消されてしまいそうな小さな声は、一瞬、何を伝えてくれているのか理解が出来なかった。それよりも、俺に対して一単語以上の言葉を発してくれたことへの驚きが勝ってしまった。ややして、ここへくるきっかけを話してくれたのだと理解する。
「沖田隊長、もうすぐ帰ってくるからね」
「・・・・・・もう、ばいばいしたもっ」
おそらく昼には一度帰ってくるはずだ。大体いつもいつも見回りなんて適当にサボっているのだから、お昼に合わせて顔を出すだろうと俺は踏んでいた。これでこの子を俺に押し付けて自分は河原で昼寝なんてしていたら、この先のことを大分真剣に考える必要がある。
だけどちゃんは、どうも朝の別れを今生の別れと捉えているようだった。
「ただいまでさァ」
もちろんそんなはずはなく。ここは真選組の屯所であり、長年過ごした隊長の家でもあるわけだから、昼はともかく夜には必ず帰ってくる。
俺の予想通り、正午にかかる前に弁当屋の袋をぶら下げた隊長がぶらりと姿を現した。
「ー、いい子にしてやしたかー?」
チラッとちゃんの様子を伺う。
と、案の定、目を真ん丸に見開き、顔全体で驚愕を表していた。
「?」
その様子を訝しく思ったのか、しゃがみ、視線を合わせた隊長を、ちゃんは不思議なものを見るように、何度も瞬きを繰り返している。
「た・だ・い・ま、でさァ」
なかなか動きを見せない子供に痺れを切らした隊長は、あのふかふかさわり心地のよさそうな白い頬を抓み上げ、口調に合わせてリズミカルに上下に振った。
ようやく、ちゃんの口から「ふぇっ」と声が漏れる。泣き声に聞こえるのは気のせいだろうか。
「お、おひゃ、―――おかえり、なさい」
「ああ、ただいま」
開放された頬を押さえ、きちんと挨拶したちゃんの頭を、隊長がくしゃっと撫でると恐る恐る伸ばされた小さく短い腕は、しゃがんだ隊服の裾を控えめに掴んだ。
そしてお役御免となった俺は、半日ぶりに気まずい沈黙から開放されたのだった。