私は今、どんなふうに笑っていますか
早めの夕飯を済ませ、一人分の食器を洗っている時、不意にナニかの気配がした。
玄関じゃなくて、窓の外?
蛇口を捻り、水を止め、気配を殺して窓の下に身を滑らす。
気配を殺す訳でなく、殺気を向けて来る訳でなく、ただそこに佇むだけ。
素早く立ち上がり窓を開け放つと、そこには沖田が、亡霊の様に立っていた。
でも予想通りというか、何故か全く驚かなかった。
対して沖田はいきなり開いた窓に驚いている。
「こんばんは」
「・・・・・・」
「こ・ん・ば・ん・わ」
「・・・・・・コンバンハ」
なぜに片言?
「どうしたの?そんなトコで。玄関から入って来いよ」
いつもは無断で入って来るくせに。
「いや・・・・・・」
「ああ、大丈夫大丈夫。そんな血みどろな隊服も気にしねーし」
「っ!」
どうやら地雷だったらしく、ビクッと沖田の体が強張る。
握り締めた拳が微かに震えていて―――何かに怯えている様に見えた。
「とにかく、こっち来いよ」
チョイチョイと手招きしながら言うと、ためらいがちに寄って来る。
うわ、野良猫手懐けてる気分だ。
窓枠を挟んで触れられる距離まで近付く。体をずらすと、躊躇った後窓枠を乗り越えて部屋の中に入って来た。
明かりの下で見る隊服は、元が黒いから分かりにくいけど、余す所なく血で濡れていた。
シャツとスカーフも赤黒く汚れていて、その惨状に思わず息を飲む。
「怪我は?」
「無い。全部返り血でィ」
「そう・・・・・・・・・・・・風呂、入る?丁度お湯張った所だから。着替えは、こないだセールでサイズ間違えて買ったヤツがあったと・・・ぅおっ!?」
そのうち成長したら着られるだろうと思って仕舞った押し入れに向かおうとすると、いきなり正面から抱きすくめられた。
血の匂いに咽そうになる。
「たたたたた隊長さん!!??」
こ、この体勢は色々問題が・・・・・・。いや、これはハグですか?あくまでもハグですか?他意は無しですか?
「隊長じゃねィ」
「え、マジ?晴れて副長に昇格したか?え、ってことはその血は副長さんの?」
「違ェ。俺はアンタの隊長じゃねィ」
「おき・・・・・・・・・・・・総悟?」
少しためらってから、名前を呼ぶと、ぎゅっと腕に力が入った。
く、苦しい・・・・・・。
「おい」
「・・・・・・」
「こら」
「・・・・・・」
「総悟。何でも良いからとりあえず風呂に入れ。お前はあたしの部屋を精肉工場にする気か?」
反応の鈍い沖田を無理やり風呂場に放り込みむ。血みどろの隊服は問答無用で洗濯機に。ついでにさっき抱き付かれた時、血が移った自分の着物も突っ込む。
そして脱衣所に着替えを用意し、部屋でお茶を淹れて出て来るのを待つ。
何がどうするとああなっちゃうんだろう?
あの夜、たまたま夜中に目が覚めて、コンビニにでも行こうかと思って歩いていたら、沖田の仕事現場に居合わせた。その時から様子がおかしかった。
あの人、多分攘夷志士だ、は恐らく死んで居ただろう。首を半分以上切られて生きて居る人間がいるなら別だけど。
人を斬ったから落ち込んでる?
そんなまさか。
だって一番隊隊長って言ったら切り込み隊長だろ?
初めてって訳じゃ無いだろうし。
・・・・・・・・・・・・私に見られたから?
あの晩以来、誠に腹立たしい事に町で会っても沖田は私をシカトする。
ガチャ
扉が開く音がして、石鹸の香りが漂って来た。
遅れてやや丈の足りない着物を着た沖田が出て来た。
「お茶、入ってるよ」
無言で向かいに座り、湯飲みを手に取る。
「隊服、勝手に洗っちゃった」
無反応。
コイツ、喧嘩売ってる?
「ご飯、食べた?」
「いらねー」
「ああそうかい。じゃあ一体何しに来たんだコノヤロー」
意味が分からん。なんで私がこんなに気を使わなきゃ行けないんだ?沖田なんかに。
こんな脆い雰囲気でいられたら、ついつい要らないお節介焼きたくなるじゃないか。
でもそういう関係じゃないだろ?
「・・・・・・こっち来てくだせィ」
「身の危険を感じるからヤダ」
人は、というより、動物は血を見ると興奮する。明らかに戦闘後の、さっきまで血みどろだった男の側なんて危なくて近寄れるか。
「何もしやせんから・・・・・・」
消え入る様に、言われたら、行かない訳にはいかないけど。
向かいにに座っていた沖田にそっと近寄る。俯いている所為で、顔がよく見えない。前髪を退かそうと、手を伸ばすと、バシっと払われた。
・・・・・・・・・・・・。
「なにがしたいんた?キミは」
「・・・・・・汚れる」
「お・ま・え・はーーっ!失礼にも程があるだろ。確かにあたしが入る前にキミに譲っちゃったからまだ風呂入ってないけど、そこまで言われる程汚くないぞ!」
「そうじゃなくて!・・・・・・お前ェが・・・・・・」
「はぁ!?」
「血が、取れねェ。いつまでも纏わりついてやがる」
・・・・・・・・・・・・重傷だ。なんだか良く分かんないけど何か変。
拒絶する沖田に無理やり抱き付き、首筋に顔を埋めと、腕の下で沖田の体が強張るのが伝わる。
「――――――石鹸。あたしと同じ石鹸の香りだけど・・・・・・?」
「そういうコトじゃねェ」
「じゃあ何?」
「離せィ。お前にまで移る」
「それさっき血まみれで抱き付いて来た人間のセリフじゃねーぞ」
「・・・・・・悪ィ」
「うわ、キモっ。本当にどうしたんだ?どっか悪いのか?やっぱり怪我した?」
それっきり沖田は黙り込んでしまった。
私は何も言わず―――何も言えず、ただその頭を抱きしめることしか出来なかった。
ぽんぽんと後ろ頭をあやす。
そのうち強張っていた体から力が抜け、膝たちになっている私の肩に頭を預けてきた。
「今まで、人を斬ることなんか何とも思ってなかった―――」
そうしてようやく、沖田はポツリポツリと話し始めた。
独り言のようなそれを、私は聞かない振りをして聞いている。
「何も感じなかったのに」
「血の匂いが消えねェ」
私は、何も言えない。
言えるわけがない。
「あたしは――――――人を殺したことはないから、何も言えない」
「ああ」
「そりゃ未遂とか、瀕死の重傷負わせたり、放って置いて死んじゃった人もいたかもしれないけどさ」
「・・・・・・」
「でもさ。何とも思わない訳ないよね?嫌だったら嫌って思っていいし、辛かったら辛いって言っていいんだよ?」
「・・・・・・俺は一番隊隊長だ」
「だから何?隊長は何も感じちゃいけないの?人を殺して何も思わない人が警察やってる方が怖いよ」
「・・・・・・・・・・・・」
あの晩、仕事現場に居合わせた時。
沖田は私から逃げた。
その後も避けられ続けた。
沖田も、師匠や兄弟子たちと同じだと思った。
育てられた道場で、正確に何が行われていたかは知らないけど、時々みんなが私を遠ざける時があった。
辛そうな笑顔と、―――血の匂い。
「何で、の方が辛そうな顔してるんでィ?」
だから意外だった。
今、沖田がこうやって私のところにいることが。
「・・・・・・っ、キミ、自分が今どんな顔してるかわかんないの?」
「俺?」
張り付いたような不自然な無表情。
いつもと変わらない表情が今はどうしようもなく不自然で、不愉快。
「そんな顔すんなよ。―――あたしは、隊士じゃないんだから」
「――――――っ!」
私は真選組とは何も関係ない。
ただの顔見知りだ。それ以上でもそれ以下でもない。
だから私の前でまで気を張る必要なんてない。
沖田の顔が、歪む。
泣き出す、一歩前。
「・・・・・・が、悪いんでさァ」
きゅうっと腰に腕を回される。力加減なんてしてくれない抱擁に、軽い痛みを覚える。
「何が?」
「今までなんとも思って無かったってのに―――あの日お前ェが・・・・・・何であんな時間にあんなトコにいたんでィ?」
「散歩」
「・・・・・・・・・・・・夜中に出歩くんじゃねィ。しかも、あんな日に・・・・・・」
「なーに言ってんだか。あたしが見ようが見まいが、キミがしていることに変わりは無いだろ。それに、別にあの晩特別たくさん斬ったわけじゃないだろ?」
腰に回された腕を解き、少し距離を作る。膝立ちをやめて、足元に座り込むと沖田の情けない顔を見上げる形になった。
「あたしは知ってるよ?いつどこで捕り物があったかとか、どれくらい死んだかとか、きっと他の一般市民より詳しい。キミが人を斬ったのはあたしに会うずっと前からのはずだ。あの晩、あたしがキミの姿を見たからといって何も変わらない」
これでも本業は探偵だ。情報収集は欠かさない。瓦版で手に入る以上の情報は自然と耳に入ってくる。
「怖く、ねェんですかィ?」
「なんで?」
「俺は・・・・・・」
沖田は人殺し。
そんな事知ってるよ。
「キミが、定期的に血を見ないと発狂する変態だったら怖いけど・・・・・・こんな風に、人を斬ったことに傷ついてる総悟のどこを怖がれって言うの?」
「傷ついてなんかねェ」
「確かにさ、まあ殺さなくてもいいかなとは思わないでもないけど。でもそれがキミの仕事だし、手加減して総悟が死んじゃったりする方が嫌だ」
まっすぐ沖田の瞳を見つめ、嘘が無い事を伝える。
ただでさえ、白い頬は青ざめていて。思わず手を伸ばす。
私の周りの人間は、何故か過保護すぎる傾向にある。
汚いものから遠ざけて、私が傷つかないように何も知らない無垢なままでいられるように。
ふざけんな。
そんなことされたって全然嬉しくない。
護られ、隠されている方の気持ちも考えて欲しい。
知らない所で傷つかないで。
知らないうちにいなくならないで。
「―――キスしてェ」
「はいいぃぃい!?お、お前何もしないって言ったじゃねーかよ!」
何の前触れもなく、顎に手を掛けられ上を向かされる。
まさにキスする5秒前のポーズだ。
慌てて身体を離そうとするが、いつの間にか背中に腕を回され、それは叶わない。
「ダメですかィ―――?」
うぅぅぅっ、卑怯だっ!そんな小動物みたいな目で見てくるなんてっ!
これはあれだ。
挨拶、っていうかボランティア?タッチセラピーだと思えばっ。
「――――――あたしがする」
意を決して、素早く口付ける。
なんとなく、自分からした方が傷が浅い気がした。
ゆっくりと触れているだけの唇を離す。
離れ際にペロっと沖田の唇を舐めて。
本当に、ネコやイヌの様な戯れるだけのキス。
私からするとは思わなかったらしい沖田は、呆気にとられていた。
「総悟―――キミは汚れてなんかいない。血は洗い流せばいいし、良心の呵責は忘れなきゃいい。気になるなら一緒に染まってあげる。重かったら一緒に背負ってあげるよ。だから辛くなったらここにおいで?」
お願いだから避けないで。
護られるのは嫌。
どうせなら、隣で同じものを見たい。
ふと、沖田の表情が変わった。
「やっぱり、はすげーでさァ」
「何言ってんの」
「―――いつまでも、キレイなままでいてくだせィ」
「はっ、―――あたしは、全然キレイなんかじゃないよ」
「それでも・・・・・・キレイだ」
「ま、なんでもいいけどさ」
綺麗なんかじゃない。
でもそれは、沖田に「キミの手は汚れてなんか無い」と言い聞かせるのと同じことだから。
否定したい気持ちを押さえ込む。
今度こそ、沖田のほうから口付けられる。
やっぱり触れるだけのキスに私は抵抗しなかった。
色めいた雰囲気が欠片もしない口付けは2人の関係を象徴しているようだった。