僕に夢中にさせてあげる
ひらひらと舞う雪に包まれ 世界は無音
真白な六花を落とす空を見上げればまるで空に吸い込まれていくようで
目が離せなくなった
見回りからの帰り道。
朝方から降り続けている雪の所為で歩きにくいことこの上ない。
まだ少し熱を残すアスファルトには積もっていないが、この調子でいくと明日の朝には一面銀世界だろう。
(まったく、雪国でもあるめェし・・・・・・雪なんて寒ィだけでィ)
雪が降れば近藤さんがはしゃいで隊を挙げての雪合戦でも始まるだろう。山崎は雪の中でもミントンだろうし、近藤さんにキツク言えない土方さんはシャトルを追う山崎を追いかけてボコボコにするのだろう。器用な隊士の誰かが雪だるまを作って、手の空いた者は雪かきに駆り出されて、夜になれば雪見酒を称した宴会が開かれるだろう。
楽しい事はいくらでも思い浮かぶが、1人降りしきる雪の中歩いていると、鬱陶しいという気持ちが前面に出てくる。
雪が積もれば交通事故が多発するだろう。公共機関のダイヤは乱れまくり、電線が切れて停電になるかもしれない。その停電に便乗したテロリストが動けば、俺達はこの真白な世界を紅く染めるのだ。
(・・・・・・やっぱいいことなんてねェな)
こんな寒い日には屯所のこたつでアイスに限る。
冷凍庫に買い溜めて置いたバニラアイスは残っているだろうか?
残っているハズだ。
冷蔵庫の中は基本的に無法地帯だが俺の私物に手を出すヤツは屯所にはいない。
「食べるな危険」の文字をデカデカと記したパックに手を伸ばすヤツはきっと翌朝アイスより冷たくなっているだろう。
少し楽しくなってきて、屯所へ向かう足を早めた時、河原に小さな人影を見つけた。
(まさか入水自殺かィ?ったく、止めてほしいよなァ・・・・・・土佐衛門のすさまじさを皆知らなさ過ぎでィ)
こんな寒い中川になど飛び込んだら溺死の前に心臓発作で死ぬだろう。
だが水中を長い事漂えば醜く膨れ上がった死体になることは必至。
止めるべきか、放っておくべきか。
どうせ自殺なんていうのは俺達の管轄じゃない。
放っておいていいか。
寒いし。
警察官にあるまじきことを考えながらも、飛び込みそうになったら止めなきゃな・・・・・・と思い足を止めた。
結局は近藤の「困ってる人は見過ごすな」精神が染み付いているのだ。
ぼんやりと立ち尽くす人物を観察する。
一体いつからあそこに立っているのか、川辺にある大きめな石の上に立ちジッと水面を見つめる頭や肩にはそこらの路面とは比べようも無いくらい雪が積もっていた。
深い色の袴姿に、無造作に束ねられた髪。廃刀令で刀を失った浪人が世を儚んで自殺って所か。
(それにしては若いような・・・・・・ってありゃじゃねーか!)
こんな所でのんびり観察している場合じゃなくなった。
自殺志願者の正体に気付くや否や、駆け出し、溶けた雪を含んだ河原の斜面を勢い良く滑り降りる。
ずざーっとかなり大きな音を立ててもは微動だにしない。
そのままの勢いで飛びつき、川から引き離すべく駆け寄った足が、あと3歩の所で止まる。
じっと水面を見つめる表情に戦慄を覚えた。
あまりに哀しく、孤独な青ざめた顔―――。
こんな表情、知らない。
「」
アホなことを考えるなと1、2発殴り飛ばすつもりが、俺の口から出たのはこんな掠れた声で。
こんな声じゃこいつに届かない。
「!」
「・・・・・・・・・ぁ、・・・ああ、隊長さんか」
もう一度、腹から出した声で呼び、腕を掴んで強く引くと、ちらっと気だるげな視線を向けられる。
でもそれは一瞬の事で。声の主を確認すると、再び視線を川に戻した。
今度は水面ではなく、遠く、降り続ける雪を眺めている。
「何、してんでィ」
「雪」
「いつからこんなとこで立ってた?」
「・・・・・・さあ」
単語でしか返してこない返事に苛立つ。
こっちを見ろよ。
「雪、積もってますぜ」
軽い体を反転させ、こちらを向かせてもは全く抵抗しない。
頭や肩に積もった雪を軽く払い、さり気なく触れた頬の冷たさに愕然とする。
生きた人間の体温じゃない。
「こんな冷たくなって、死ぬ気ですかィ」
「・・・・・・雪に、なりたくて」
また意味不明なことを言う。
冷えた体を暖めたくて、つけていたマフラーを巻きつけてやると、それを確かめるように撫で、今度は上を向いた。
「雪になったら、空へ行けるかな」
「何言ってんでィ。雪は空から落ちてくるんですぜ」
「見て?」
促され、上を向くと、一層強くなった雪が勢い良く降っていた。
雪は空から降ってくるもの。それは常識のはずが、ずっと眺めていると確かに。
吸い込まれるような錯覚に陥る。
「人は、雪にはなれやせんぜ」
「夢がないなー」
くすくすと笑いながら上を見続ける姿は、本当に夢見る少女のようで。
鳥肌が立ったのは寒さからか―――それとも。
「帰るぜィ。寒ィだろ」
「寒くなくなるまでいたら、雪になれると思わない?」
「思わねェ。出来上がるのは凍死したガキの死体だけでィ」
「―――ほんと、夢がないね」
夢なものか。悪夢だろ。
雪に濡れた体を抱き寄せても、濡れた着物と隊服の擦れる感触がするだけで、いつも感じる暖かさも柔らかさも無く、本当に雪になる寸前だったのではないかと心配になる。
瞬きして、視線をこちらに移した瞼にも白い六花が付いていて、まるで涙の様。
雪の積もった睫毛にそっと口づけ、唇の温度でそれを溶かすと、溶けた雫が頬を滑り落ちた。
「帰るぜィ」
もう一度繰り返すと、は諦めたように体を預けてきた。
肩に預けられた頭から、くぐもった声がする。
「どこに?」
「ここからなら屯所の方が近いでさァ」
***
あのあとすぐに気を失ったを背負い、全力疾走で屯所の門をくぐる。
隊士たちが俺の形相と、背負ったに驚きの声を上げているが全て無視して一目散に浴場へ向かった。
「山崎ィ!!2人分の着替え用意しとけィ!!」
走りながら大声でそう言うと、どこからとも無く山崎が姿をあらわす。
「はいよ!―――って、2人ってちゃんの!?え、ええ!?そ、それって」
慌てふためく監察を尻目に、勢い良く浴場の扉を開けると見回り帰りの隊士が数人いた。
基本的にここには男しかいないから、普通なら誰も驚かない。
しかしその勢いと、背中に背負ったを見たヤツ等は一拍遅れて慌てふためく。
「おい、全員3秒以内に上がれィ。遅れたヤツァ、ぶっ飛ばす」
を抱えなおし、バズーカを構えるとあっという間に浴場に静寂が訪れる。
「―――ん?っのわっ!?」
ばっしゃーん
浴場に溢れる湯気にが目を覚ましたのと、俺がその冷え切った体を浴槽に投げ込んだのは同時だった。
「ぅわっち!な、何!?――どわっ!」
飛び起きて逃げ出そうとするを、自分も飛び込み押さえこむ。
「あっつ!熱い、マジ熱いホント熱いいやむしろカユイってか痛いから!何?何なの?離せ!っつーかここどこだ!?」
「いやぁ、生きてる証拠でさァ」
さっきまでの儚げな様子は幻だったのではないかと、笑えるほどの豹変振りに、実際笑いながら抱え込む。
「な、な、な、なんで隊長さん・・・・・・へ?なんで!?」
「正気になりやしたか?この自殺志願者が。手間掛けさせんじゃねェよ。お陰で隊服がずぶ濡れでさァ」
「いや、あたしもなんか服ずぶ濡れってか、どうしてあたし達着衣入浴なんてしてんだ?しかも隊長さん!?一体どこから湧いて出た?」
着衣入浴。
一刻も早く暖めなくてはと思い、風呂は裸で入るものだ何てことさっぱり失念していた。
もっとも、勝手に脱がしたりするわけにもいかなかったのだが。
「そうですねィ。なんなら今から脱ぎやすか?」
「は!?いや、服の話じゃなくてこの状況が―――ちょーっ、いいから!脱ぐなバカ!」
さすがにかっちり着込んだ制服じゃ苦しい。
混乱している言葉を適当に流しながらスカーフを外し、上着を脱いでいるとそれを見たは面白いように慌て始めた。
「え?何?全部見たいって?いやァ大胆ですねェちゃん」
「んなこと言ってねーよ!」
「はいはい、分かったから逃げなさんな。ちゃんと暖まれィ。ホント凍死寸前だったんですぜ」
「・・・・・・逃げないから離せ」
「それはできねェ相談でさァ。命の恩人の言う事は素直に聞けィ」
がっちり腰に回した手を解く気が無いのが分かったのか、大人しくなったはもぞもぞと体を曲げ、草履と足袋を脱いで浴槽のふちへと投げ出した。
(こりゃ湯入れ替え決定だな)
「―――?」
大人しくなったらなったで、大人しすぎるにまた不安になる。
「んあ?」
およそ色気などというものとは無縁の返事を寄越してくるその視線は、目ざとく見つけた換気用の窓から外へと注がれていて。その小さな窓から、再び雪に目を奪われていた。
「そんなに、雪が好きですかィ?」
(そんなに、雪になりてェか?)
「嫌い」
「え?」
予想外の返事に思わず声が漏れる。
あんなに、今だってこんなに見惚れているのに?
「真っ白で、冷たくって、静かで―――怖いよね」
「・・・・・・」
「怖いけど――――――どうしようもなく、憧れる」
濡れた様に光る瞳がまっすぐに俺を捕らえる。
「空、吸い込まれそうだったけど、川にも落ちて行きそうだった。あたしはどっちに行けるのかなって考えてたら、頭の中真っ白になっちゃって・・・・・・また、助けられたね」
顔色を取り戻した頬が淡く染まるのはお湯の所為か、照れているのか。気まずそうに目を伏せ、弱弱しい笑みを浮かべるを、掻き抱く。
ばしゃん と大きな水音が立った。
時々。
この生きることに一生懸命な少女が、別人のようにそれを放棄しようとする時がある。
消極的な自殺のように。緩やかに死を待つ。
それは普段いかに頑張って生きようとしているのかを象徴しているようでもあり。いつ訪れるか分からない発作のような症状に、今度もまた、間に合ったようだ。
「雪、止むまでここにいろィ」
「え、無理。そろそろ熱くなってきた」
「違ェよ。屯所にいろって」
「・・・・・・まだ続くらしいよ」
「じゃあずっといればいい」
「副長さんに怒られるぞ」
「近藤さんは歓迎してくれまさァ」
熱い湯船の中。
若い男と女が。
隊服と着物のまま抱き合う、そんな冗談みたいな状況が。
滑稽で、酷く現実味を帯びていた。
***
「あちー」
俺が貸した浴衣を着込んだはこたつに足を突っ込み天板の上に突っ伏す。
どうやらのぼせたらしい。
「ここの風呂あちぃよ」
「江戸っ子は熱いのが好きだからなァ」
「お前ら江戸の出じゃねーだろ」
「良くご存知で」
「自分で言ってたじゃねーかよ―――ああーもう無理、鼻からなんか出そう。溶けた脳みそ的ななんかが」
「素直に鼻血って言え」
「女の子が鼻血なんていいませんー」
「意味分かんねェよ」
まっとうな女の子は風呂でのぼせて鼻から脳みそ出したりしねーよ。
「なあ、なんで1人でアイス食ってんだ?」
「俺ァ、これを楽しみにしてたんでさ。真面目に働いていざ労働の後のアイスとしけ込もうとした時に自殺志願者なんか見つけちまった所為でこんな時間になっちまったィ。隊服はずぶ濡れだし、これァ明日は仕事にならねーな、の所為で」
「あたしの所為か?」
「そうだろィ」
「・・・・・・別に、放っておけば良かったんじゃ・・・・・・」
「ほおう?そういうこというんですかィ、その口は?」
「ごめんなさい」
その言い草にちょっと本気でムカついて、鋭い視線を向けると危険を感じたのか即座に謝ってきた。
「雪、やまねーな」
暑い暑いうるさいの為に少し開けた襖の隙間から外を眺め、ぽつりと呟く。
やっぱり視線は雪に奪われたまま。
「この分じゃ、明日は一面真っ白だなァ」
「うん」
「きっと近藤さんが雪合戦始めますぜ」
「局長自らかよ」
「怒り狂う土方さんが目に浮かぶなァ」
「それに追いかけられる要領の悪い監察くんの姿まで目に浮かぶよ」
「ま、雪かきもせにゃならんがねィ」
「そしたら雪だるま作れるな。・・・・・・いや、かまくらも捨て難い」
「どんだけ積もらすつもりなんでィ」
「雪見大福食いたい」
「晩はきっと宴会ですぜ」
「そのアイスでもいいよ」
「楽しみだなァ。お前ェ、一宿一飯の恩返しになんか作れィ」
「アイス食いたいな〜」
しんしんと 無音の音を立てて雪は降り続ける
いつしか彼女の視線は窓の外の雪から俺の手にある甘い氷菓へと移っていた
生憎だが、どんなに頼まれたってこのアイスはやれない。
明日になったら雪見大福でもイチゴ大福でも買ってやるから。
どんなに雪が積もってても、たとえまだ降り続けていても買いに行ってやるから。
今はその目で、俺を追えばいい。