そして世界は動き出す
体が変だ。
私が師匠に習ったのは文字通りの「護身術」
身を守るため、生き残るための術。
こうして大勢と対峙するのも苦手じゃない。
むしろこんな場面を想定して何度も実際にならず者の集団に叩き込まれた。
だけどあくまでも目的は、無事逃げ延びること。
相手を倒すことじゃない。
それなのに――――――
武器を手に、体が勝手に動く。
考えるより早く相手の獲物を捕らえ質の悪そうな日本刀を砕いていく。
武器破壊は基本。
日本刀なんてそうそう破壊される物じゃないからそれだけで怖じ気づかせるのに十分なこともある。
残念ながら敵さんは私の拉致という明確な目的があるようで、なかなか退いてはくれない。
だけどしばらくしないうちに相手は丸腰になった。
それなのに――――――
私の足なら逃げ切れる。
地の利は無いが、私の足に追いつける人間はそういない。
頭では分かっているのに、もう踵を返し走り去りたいのに。
体は攻撃の手を弛めない。
もう相手は丸腰も同然。
それに私は凶器を持って立ち向かう。
振り上げられる腕を、罵倒してくる顔を、切り刻んでしまいそうで――――――
自分を抑えるので必死だった。
1人2人と戦闘不能に陥り、倒れス仲間を見捨てて背を向けるヤツが出始める。
そうだ、逃げて―――
だけど遅かった。
拮抗していた私の理性と、破壊衝動はあっさり後者に軍配が上がり、体を明け渡してしまった。
世界の音が消えて、全てがスローモーションに映る。
軽くなった体は嬉々として逃げる最後尾の男に追いすがり、首だって軽く落とせる金属の糸を無防備な背中に投げつける。
血飛沫が上がった。
「ひっ!・・・あ、ぅあ・・・・・・ぅぁァアアァァ」
醜い男の声を合図に、世界に音が戻る。
バラバラと不規則な音を立て男が逃げていく。
なら私が斬ったのは?
急に体が重くなった。
のろのろと視線を落とすと、桃色の浴衣にそぐわない赤黒い斑点が―――。
これは誰の血だ?
「ッててて―――・・・いくら何でも過剰防衛ですぜ?」
寸前までいなかった人物の声に体が今度こそ硬直した。
続けて何かを言ってるようだが、キィィインという耳鳴りが邪魔して聞き取れない。
これは誰の血だ?
真新しい、淡い桃色。
師匠のお下がりとは違うけど、きっと私のために用意してくれた。
これは誰の血?
目を上げなきゃ。
確かめなきゃ。
そろそろと視線を上げる。
そこには予想通りの人物が、白い着物に血を滲ませて立っていた。
手には半ばで折られた刀の柄をぶら下げて。
顔を上げた私に沖田さんが何か言っている。
だけど耳鳴りが頭の中で渦巻いて、何も聞こえない。
耳の奥に錐をねじ込まれたような痛みが走る。
何か言おうと口を開いても、話しているつもりなのに声は空気を震わさない。
訝しげな沖田さんが、眉を寄せて近づいてきた。
扇を持つ手に力がこもった。
必死にそれを抑える。
言うことを聞かない体に泣きそうになる。
私の内側での葛藤を知ってか知らずか沖田さんの手が伸ばされる。
その手が触れたかどうか知ることなく、私は意識を手放した。
そろそろにも武器の扱い方を仕込まないとね
あたし師匠とおんなじのがいい!
この扇?
うん!
・・・・・・刀は?
刀は人殺しの道具だから嫌
この扇だって人間の首くらいプチっと落とせるし、その気になれば胴だって両断できる
・・・・・・・・・・・
覚悟がなきゃね
え?
殺傷能力のない武器なんて存在しない。その気になれば人は身一つで人を殺せる
・・・・・・はい
あたしはアンタに人殺しの方法は教えない。だけど武器を持つ以上、一度振り上げれば相手を殺してしまうかも知れない、死ななくってもひどい怪我を負わせてしまうかも知れない。その覚悟はある?
・・・・・・ありません
はいい子だね。よし、訓練だけ始めようか。これを触っていいのは道場の中だけ。いい?
はい!
「覚悟が出来た」と答えられたのは、それからずっと後の事。
覚悟が本物になったのはその直後。
そんな甘い考えじゃダメだって、殺す気でかからなきゃダメなこともあるって知ったのはつい最近。
じゃあ覚悟が甘かったと気付いたのは――――――?
道場で高杉に出会い、連れて行かれた先で見せられた血塗れの師匠。
いつの間にか私の周りは血だらけで。
どんなに逃げても錆びた鉄の匂いが漂って離れない。
崩れそうな精神の中、あの頃覚悟の象徴だった扇と、懐刀にすがって逃げ続けた。
なんであんなに逃げたんだろう。
大人しく捕まっても良かった。
殺されたって、独りになった私に生にしがみつく理由なんか無かったはず。
葛藤に答えは出ないまま流れ着いたのはこの国の心臓部。
身も心もボロボロだった私を拾ってくれた師匠と似た香りの老人。
生きる場所と仕事をくれた。
そこで出会ったのは――――――?
***
「よー、ジイさん久しぶりだなァ」
「ほッ、万事屋か。息災か?」
寂れた裏通り。
こんなところに店を構えて、果たして儲けは出るのかと疑いたくなってしまうような立地条件のそこに屋台はあった。
客は朧狐屋店主が1人。
そこに奇妙な常連仲間が現れた。
最初の挨拶以降しばらく沈黙が流れる。
銀時は酒を、老人はなぜか水あめをちびりちびりと舐めている
「・・・・・・・・・・・・あの子の様子はどうじゃった?」
「何で知ってんだよ―――って聞くだけ無駄か。元気、ではなかったな。怪我は治ったみてーだったけどよ」
の様子を見に行ったことはこの老人はもちろん、万事屋の従業員たちにも言っていない。
それなのに老人は得体の知れない情報網での身辺の動きを把握していた。
祭りの日以来姿を消した。
あの子の様子がおかしいということは銀時が伝えたとき、既に医者の島麻から聞いて知っていた。
それなのに会いに行くこともせず真選組の屯所に預けたまま、何も動きを見せない。
銀時はそれが気に入らなかった。
「冷てーよな、孫同然のがとんでもねー目に合ってるってーのによォ」
「ほッほッほッ、孫なんて良いモンなものか」
「ずいぶん可愛がってるようだけどなァ?もう目に入れても痛くないって感じ?」
「――――――わしはのォ、止り木でいいんじゃよ。あの子が羽を休めて安らげる止り木じゃ。ここに巣を作るもよし、飛び立っていくもよし」
まさか水あめに酔ったのか、老人はいつに無く饒舌だった。
「飛び立つって・・・・・・ありゃァ、迷子だろ。エサ取りに行ったはいいけど帰り道が分かんなくなったタダの迷子だ」
「なぁに、もともとの出会いが、迷子からだったからのォ」
「なぁジイさん。何で探偵なんかやらせんだ?アンタならもっと他に適当な仕事紹介できただろ?何でわざわざんな得体の知れない仕事」
「お前さんと一緒じゃよ。―――いやいや、あの子はお前さんと違ってまっとうな仕事でもきちんとこなせるだろう」
「ちょっと待て」
「じゃがのォ・・・・・・しっくりこなかったんじゃよ。あの子に、一箇所で腰を落ち着けて働くのは性に合わん。それにわしの手伝いなら、飛び立つときあっさりと出来るじゃろうて」
「・・・・・・もし、このまま江戸を出てっちまったらどうすんだよ」
「ちゃんが選んだのなら何も言わんよ。だけどそんなこと、あの真選組の若造が許さんじゃろう」
月は傾き、いつの間にか老人も水あめを酒に持ち替えた。
「――――――この老いぼれよりも先に耄碌するとは・・・・・・戻ったらお仕置きじゃ」
「ジイさん・・・・・・忘れられたのが寂しくって会いに行けねーって正直に言えよ」
「うるさいぞ若造。クルクルは髪だけにしろ」
「アンタの愛しのちゃんもクルクルなんですけどー」
「ほッほッほッ、ちゃんの髪とお前のそのモジャモジャ一緒にせんで貰いたいのォ。あの子のは心身の柔軟性が滲み出ておるじゃい」
「なんだと、そんな髪があるんだか無いんだかわかんねー頭しやがってこのハゲ」
「ほッ、これでも若い頃は桂小太郎も驚きのきゅ〜ちくるを誇っておったものじゃ。おぬしにはこれまでもこの先も一生味わえまい」
「何がきゅ〜ちくるだよ。どうせヅラだろ」
やいのやいの。
大人気ない2人は空が明らむまで飲み続けていた。
渦中の少女が、再び老人の前に笑顔で戻ってくることを願って―――