結びなおされた絹糸
違和感を感じて駆け寄ると、そこで舞っていたのは俺の知るじゃなかった。
無表情に幽鬼ごとく、逃げるチンピラ浪士に追いすがる。
全く相手の安否を気に留めない勢いに、間一髪飛び込んだものの、自衛までは手が回らなかった。
相棒を犠牲にしてなお、ギリギリで避け損なった鋼線が胸を一直線に裂く。
不思議なもので、幾度と無く傷を負ったことのある俺が、返り血を受けたを見るまで自分が流血していることに気付かなかった。
それほどまでに、鋭く疾い斬撃だった。
(俺じゃなかったら死んでらァ)
「過剰防衛ですぜ」
これまでに、何度にそう言ったことだろう。
そうは言っても、女子供の身で絡んでくるチンピラをボコ殴りにするくらいじゃそう問題にならない。
だから、本気で止めたのはこれが初めてだった。
二撃目に備えるが一転は生気が抜けたように俯いたまま動かなかった。
「?怪我でもしやしたか?」
俺の問いかけは聞こえていない。
ゆったりと近づくと、浴衣に受けた返り血に目を奪われているのが分かった。
「・・・・・・俺なら大丈夫ですぜ。こんなんかすり傷でさァ」
失敗したかも知れない。
こんな事ならあっちの男を斬らせた方がダメージが少なかった。
そういえば1人逃がしてしまった。
まあ、周りに転がってるヤツらを締めればいずれ残党も狩れるだろうが。
それよりもだ。
手を伸ばせば触れられる距離で足を止める。
肩越しに使えない監察が駆け寄ってくるのが見えたので近寄るなと目で制しておく。
のろのろと顔を上げたの目が俺を捉える。
能面のように蒼白だった顔が泣き出しそうに歪む。
(やべェ、泣くかな)
だけどは血の滲む着物を凝視したまま。
小刻みに体を震わせて、何か言おうしているが、「あ」とも「う」とも取れない音が漏れるばかり。
「大丈夫。もう怖いおっさんたちはいやせん」
手を伸ばすと武器を持ったままの右手に力がこもる。
また斬られるかと身構えそうになったが、すぐさま自身の左手がそれを抑える。
そっと頬にまで一滴飛んでいた血を拭ってやると、小柄な体が崩れ落ちた。
***
「先生、は!?」
あの後事後処理は山崎と駆けつけた隊士に任せ、島麻先生の所に駆け込んだ。
「外傷はありません。疲れ―――でしょうかね。とにかく、私にはあなたの方がよっぽど怪我人に見えますよ」
「いや、俺は・・・・・・」
「大したこと無くてもさんの前で流血したままでいるつもりですか?」
こちらへ、と診断の間退出させられていた診療室に通された。
すぐに簡易ベッドに寝かされているが目に入った。
ぼんやりとそれを見つめていると、さらに促される。
「沖田さんの手当てをするのは久しぶりですね」
「そうですかねィ」
「―――止めてくださったんですね」
傷は思っていたより深かった。
あれだけ血が飛ぶのだから当たり前と言えばその通りだが、先生に指摘されるまで怪我をしていたことも忘れていた。
「先生、アンタの何?」
深いと言っても縫うほどではなく、包帯も必要ないだろう。
ポンポンっと消毒を続ける先生の頭に問いかける。
「何、と言われますと?」
「アンタとあの爺さん。の何ですかィ」
「・・・・・・私たちは・・・何なんでしょうね」
正直、俺よりのことを知っている2人は気に入らない。
思い出したように、そのことを思い知らせる癖に、何もしないこの2人がもどかしい。
特にあの古本屋店主兼の雇い主の老人は祭りの日以来顔も見せない。
人にに関わるなとか言っておきながら、幕府の狗と蔑んででおきながらその庇護下に彼女を置くことを良しとする。
しかし俺の問いを受けた島麻先生の表情に二の句が継げなくなった。
「さんはね・・・・・・もう何もいらないそうなんですよ」
消毒が済み、片付けをしながら独り言のように呟き出す。
「4年前、江戸に流れ着いたさんはボロボロでした。体も―――心も。朧のおじいさんは路地で拾ったと言っていました。この間と同様目を覚ますとすぐに何かから逃げようとして・・・・・・ただの医者としてもあんな状態で外に出したりできませんでした。無理やり納得させて診療所に留まらせました」
予期せず始まった昔話に思わず聞き入る。
ダメもとでも聞いてみるものだ。
「傷が癒えて、体力も回復して、これからどうしようか、というとき私たちは家族になろうと勧めました」
「は!?」
「?―――ああ、別に結婚しようと言ったわけじゃありませんよ。いくらなんでも犯罪ですよ。そうではなくて・・・・・・私も、朧のおじいさんも戦争で家族を亡くしていますからさんがそれはもう娘のように孫のように思えて仕方が無いんですよ。今も十分可愛らしいですがあの頃のさんといったらそれはもう他に類を見ない可愛らしさで、今以上にはにかみ屋で「おいこらおっさん」
真面目な話だと思っていたら急に雲行きが変わった。
この先生、こんな顔してまさか流行りのポリゴンか?
「!?失礼。とにかく、よかったら養子縁組でもしてという話は断られました」
「そりゃきっと身の危険を感じたんでしょう」
「断じて違います。その時言ってたんですよ。『もう家族なんていらない。何もいらないから放っておいて』ってね。信じられますか?10を過ぎたばかりの子供が、涙も見せずにそんなことを言うんですよ。無理強いなんて出来ません。ですが、やはり木を隠すには森の中、人を隠すには人の中です。江戸に留まったほうが追っ手に見つかる可能性も低いのでは無いかと説得しました」
後見人は、朧のじいさん。
情報網を張り巡らせた探偵業は周囲を警戒したいにぴったりだった。
その力は生かしきれなかったようだが。
当たり前だ。
俺たちだって決して遊んでいるわけではない。
組織で追って掴めなかったんだ、一個人の力でどうにかなるものだったらとっくに俺たちが捕まえている。
「さんの生い立ちはご存知ですよね」
「まあ、多少は」
「・・・・・・なら、分かるでしょう?今でも信じられないんですよ。あのさんが、特定の誰かを、それも幕府の関係者と親密になるなんて。もう、大丈夫なんですね――――――」
そういって、眠り続けるを眺める目は、保護者の目そのものだった。
「・・・・・・さあ、どうですかねィ」
まだ仕事があるといい、先生は部屋を出て行った。
仕事部屋はここだから、きっと口実。
好意―――と取っていいのだろう。
それに甘え、眠るの元へ近づく。
は声も無く、泣いていた。
閉じた瞳から水滴がこめかみを伝って枕を濡らしている。
もう何度目だろう。
こうして泣くを見るのは。
もともとは泣かないヤツだった。
それがこの1月ほどで、それまで見てきた涙の数を優に追い越してしまった。
それほどまでに現状は彼女にとって辛いものなのだろうか。
それとも、外見はともかく、中身はまだ子供だから?
11と言ったらまだ保護者の庇護の元、自由気ままに生きていられる年だ。
それなのに、すでに家族を、家族と慕ったものを2度も亡くしている。
溢れる涙は指で拭うくらいじゃ足りなくて。
夢に泣いている子供を泣き止ませる術は持っていない。
寝台の少し空いたスペースに腰掛けるとキシッという音がイヤに響いた。
真上から見下ろした寝顔は、幸せそうと言うには無理がありすぎて、胸の奥が痛くなる。
ぎゅぅっと引き絞られたのどの奥からしょっぱい何かが込み上げて来る。
の所為だ。
腹立ち紛れに顔を近づけた。
***
唇が触れる寸前。
ぱちっと、何の前触れもなくの目が開く。
鼻と鼻が触れそうな距離で俺は固まった。
ぼんやりと、涙の残る寝ぼけ眼が俺を見上げる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
なぜかどちらも口を開かない。
「なんか言ったらどうでィ」
沈黙に耐えきれず、先に折れたのは俺だった。
「・・・・・・夢?」
ぼんやりと呆けたまま一人ごちる。
「変な、夢見た」
「どんな?」
「ちっちゃいころのあたしと、隊長さんが一緒にいる夢」
「え―――?」
今、なんて言った?
「師匠に借りた桃色の浴衣で、村のお祭りに一緒に行ってたんだ」
まさか――――――
「おい」
「あたしは・・・・・・10歳くらいかな・・・そんで、キミと手繋いで歩いてた。そんなハズないのに、すげーリアルで」
これはもう―――
「!」
夢現で続けるを無理やり遮る。
「・・・・・・!?近くね?」
「おま、戻って・・・・・・?」
「何が――――――あ」
目が覚めてきたのか、ぼんやりとしていた瞳が大きく開かれる。
「俺が誰だかわかりやすかィ」
「隊長さん」
「名前で呼べィ」
「・・・・・・総悟」
期待が、いや、確信が胸に膨れ上がる。
「、お前ェいくつだっけ?」
「・・・・・・16かな」
「っ―――・・・・・・っ」
ヤバイ。
これは――――――
「総悟・・・・・・んな泣きそうな顔すんなよ」
「うっせーよ、お前ェこそぴーぴー泣きやがって。目ェ溶けんぞ」
情けないことに、不覚にも泣きそうになってしまった。
いつもそうだ。
コイツは最大限人に心配させておいて、ケロッと戻ってくる。
「全部、覚えてるんですかィ」
「・・・・・・わかんねー。なんか、色々混ざってて・・・・・・すげー混乱してるっつーか・・・・・・気持ち悪ィ」
「げ。先生呼ぶか?」
「いや、そういうんじゃなくてさ」
とりあえず起き上がらせろ、と久しぶりの、本当に久しぶりの再会だというのに何も無かったかの様な態度。
それが嬉しいやら、ムカつくやら。
腹立ち紛れに、起きるのに手を貸してやりながらキスを掠め取る。
は一瞬大きく目を見開き、直後、なぜか非常にいやな感じの笑顔を浮かべた。
「隊長さん―――総悟」
「なんでィ」
「一緒にいてくれるんだよな?絶対置いていったりしねーんだろ?」
嬉しそうに、だけど意地の悪い笑みを浮かべて、してやったりと言った調子でいつか俺が言った言葉を繰り返す。
「おまっ!覚えてっ・・・・・・」
『』に伝えた言葉に嘘は無い。
だけど改めて繰り返されると穴でも掘って潜りたくなる。
「―――ちょっと一発殴らせろ」
「はぁ!?」
「いや、もういっそのこと一発ヤらせろ」
全く、どうしてくれようこの女。
少しでも残っていてくれればいいと思った。
だけど一言一句違わず覚えていられるとは思わなかった。
「んな!?ふっざけんな!こちとら病み上がりだぞ!」
「安心しなせェ。たぶん痛くしやすから」
「何をどう安心するんだよ!」
「お前ェ、俺がどんな気持ちでこの一月過ごしたと思ってんでィ。殴るくらいじゃ気がすまねェ」
「なんで殴るのと同列なんだよ!落ち着け!ちょっ」
ホントに、殴るくらいじゃ治まらない。
散々人の中を引っ掻き回してくれたんだ。
一体どう落とし前を付けて貰おうか。
本気で狼狽するに少し気が晴れた。
距離を取ろうとする体を抱き寄せ、抗議の声が上がるまで抱きしめる。
その口調が、抵抗が、懐かしすぎて、こみ上げる涙を抑えるためにさらに力を込めてやった。