17.甘く温いこの世界
「どこか痛いところはありますか?」
「いいえ」
「気分が悪いとか」
「大丈夫です」
早朝の診療所。
診察室に顔を出した島麻先生と入れ替わりに沖田は屯所に戻った。
昨夜から続いていた再三の呼び出しを彼は携帯の電源を切るという手段で無視し続けていたらしい。
さすがに副長さんからの着信の多さに顔をひきつらせ、すぐに戻ると言いおいて出て行った。
「落ち着いてますね」
対する私は朝から診察を受けている。
記憶が戻ったばかりにしては、落ち着きすぎていたらしい。
失敗した、と思っても後の祭。
「まあ・・・・・・ある意味、慣れてますから」
「ほぅ、慣れてる?」
そう、ひと月もの間記憶が後退していたというのに、私はあまり衝撃らしいものを受けていない。
たた、胸に浮かぶのは「またか」という諦めにも似た感情。
「・・・・・・初めてじゃないんですよ。なんかあたし、頭のネジが緩いみたいで、前にもあったんです。あるはずの記憶がなかったり、知らないはずのことを知ってたり」
明るく取り繕いながらも自嘲気味な表情が浮かぶ。
江戸に来てからは落ち着いていたのに。
改めて、ここでの生活が平和だったことを思い知る。
特に酷かったのは――――――
「体が自分の知らない動きをしたり、何かあったハズなんだ・・・・・・それなのに――――――あたし・・・忘れちゃうのかな」
久しぶりに味わう自分が自分で無くなるような得体の知れない恐怖。
親も無く、故郷もない私にとって自分の記憶だけが「」を形作る確かなアイデンティティなのに。
一番酷かったのは、当然と言うべきか、師匠が殺された頃。
そこから江戸に流れ着くまでの期間、所々記憶が飛んでいる。
10を過ぎたばかりの子供が、誰も頼らずに江戸まで来られるはずがない。
でもその空白の期間、私の中には誰もいない。
私は何かを忘れてる。
忘れるのは、思い出したくないから、ならば無理に思い出すことも無いと放って置いた。
だけど――――――
「大丈夫ですよ」
安心させるような口調とともに頭に手を置かれる。
根拠の無い言葉に自嘲の笑みが深くなる。
「・・・・・・信じてませんね?」
「だって島麻センセ外科専門だもん」
「医者じゃなくても分かりますよ。だってあなたは本当に大切なコトは忘れていない。立派なご両親のことも、大切な師匠殿のことも」
「でも」
「今回だって、こうして私たちの前に戻って来ました」
何か他に問題ありますか?
そう問われると、何も問題無い気がする。
大切なコト・・・・・・。
覚えている範囲で大切なことは覚えている。
取り落としてしまったものは・・・・・・それがなんだったか、今はもう分からない。
「ごめんなさい」
「なぜ謝るんですか」
「一杯心配かけたから。これからいっぱいお礼参りしなきゃ」
「それはちょっと使い方が「から手を離せ変態」」
「ちょっ、隊長さん!何やってんだよ!」
いつの間にか戻っていた沖田は、あろうことか先生の背中に刀を突きつけていた。
しかも変態ってなんだ?
「いや〜、どうも昨日からあらぬ疑いをかけられていまして」
「疑い?・・・・・・ああ。隊長さん?島麻センセはただ無条件な子供好きなだけだよ」
先生は無類の子供好きだ。
残念ながら奥さんはいないが、出来るものなから自分で子供産むとか言いかねないほど。
どんなフィルターがかかっているのか、お世辞にも褒めるところなんて見つからないような子供でも、絶賛するから筋金入りだ。
まあそのお陰で大分お世話になったのだけど。
「ただのロリコンだろィ」
「だから違うっての。もし仮にそうでもあたしじゃさすがにもう対象外だろ」
「ちょっとさん、フォローになっていませんよ」
「それに、キミだって子猫とか子犬がいたら可愛がるだろ?」
「犬だったら赤犬か確かめやす」
「食うのかよ!」
それは予想外だった。
犬が飼いたいと言っていたのは非常食の為か?
先生ロリコン疑惑より、沖田が犬を食うつもりだった事に衝撃を受けた。
そんなやり取りに挟まれて、島麻先生は穏やかに微笑んでいる。
「ほら、行きやすよ。一度屯所に来いって土方さんが」
「それだけ元気なら問題ありませんね。何か気になることがあったらいつでも来てください」
「はい」
「お爺さんのところにも行くんですよ」
「・・・・・・はい」
「しっかり怒られて来て下さい」
「・・・・・・怒ってます?」
「ええ。それはもう」
***
早朝の通りは、人影がまばらで、私と沖田以外見当たらない。
私の2歩先を歩く沖田の背中が、心なしか不機嫌に見えた。
仕方のないことだろう。
覚えている限り、一番迷惑をかけたのは沖田だ。
覚えていると言っても、それは酷く曖昧で、昔の記憶に今の沖田が入り込むというおかしな状態だ。
どこまでが事実かわからない。
ただ、怖くて寂しくて泣いている私を抱きしめてくれたのはきっと――――――
・・・・・・・・・・・・やばい。
思い出したら恥ずかしくなってしまった。
師匠のものとは違う腕をハッキリと覚えている。
急に火照った顔をパタパタと扇ぐ。
並んで歩いていなくてよかった。
しかし、本当に我ながらぴーぴー良く泣いたものだ。
いや確かに昔はすごい泣き虫だったけど。
16にもなってアレはなぁ・・・・・・
「」
「はい!」
突然声をかけられ飛び上がる。
「さっきの話、本当?」
さっきの話?
「え・・・・・・と、島麻先生が子供好きの話?」
「んなワケねェだろ」
それはそうだ。
ワザと避けているのがバレているのだろう。
「・・・・・・本当だよ」
「・・・・・・」
「やっぱり一番酷いのは師匠が死んで、たっ・・・―――アイツから逃げてる頃。何かおかしいと思ったのは江戸に来て、戦い方が変わったのに気づいた時、かな。師匠に習った戦い方じゃなかったから」
一定のリズムを崩さないまま、足を進める。
振り向く気配のない背中に救われた。
「人間の脳ってさ、記憶を改ざんするんだって。その人が辛くないように、壊れちゃわないように調整してくれるんだって。よく出来てるよね。・・・・・・でもそれはランダムで・・・一番忘れたいコトは忘れさせてくれない」
鮮明に残る晒された両親の首と、血塗れの師匠の姿。
一度だって忘れたことはない。
あれ以上に辛い記憶なんて、あるとは思えない。
「つまり、お前ェの頭は初期のファミコン並に飛びやすくて『ぼうけんのしょがきえました』って残念なメッセージはご丁寧に送ってくれる融通の効かねー初代DQみたいな感じなんだな」
「・・・・・・なんか急に軽い表現だな」
「なるほどねィ」
「あれ?結構真剣な悩みなんだけど、ホントにその理解度止まり?」
「十分でさァ・・・・・・はぁ」
うわっ、何そのため息。
自分でもちょっと、いやかなりやっかいな子じゃ無いかと思ったけども!
「ごめんなさい」
「あ?」
「まだ、謝ってなかった」
「・・・・・・ああ」
「ごめん、迷惑かけた」
「迷惑はかかってねェよ。散々心配はさせられたけどねィ」
「・・・・・・ごめん」
「大体、斬られて倒れてるところを運ばれてくるわ、傷も出血も死ぬほどじゃねェのに意識は回復しねェわ、起きたら起きたでキャラは違ェわ味覚も変わってるわ、野良猫みてェな警戒の仕方するわ、そのくせ抱き心地は変わんねェわ・・・・・・」
責められているのかなんなのか。
身に覚えがあるような無いような話しに頬をひきつらせるしか出来ない。
「もう一生俺に頭あがりやせんぜ」
「はあ・・・・・・?なんで?」
手に負えないと投げられることはあっても
「お前ェのそのやる気のねェ脳みその代わりに覚えといとやりまさァ。お前ェがいくつに戻ろうがまっさらに全部忘れちまおうがぜってー手放さねェから覚悟しないせィ」
こんな風に受け入れて貰えるなんて
「・・・・・・熱烈だな」
「知りやせんでした?」
思ってもみなかった。
「つまり、お前と高杉は何も関係ないってことだな?」
「だからそう言ってんだろ。気色悪いこと言うなよ」
「そうだぞトシ。ちゃんのあの怯えよう見ただろ?」
「仲間割れかも知れねェだ「トシ!」・・・・・・とにかくしばらく張らせて貰うからな」
「なんで」
「またお前の所に現れるかも知れないだろ」
「気色悪いこと言わないでくださいよ。・・・・・・もういっそのこととんずらこきたい」
「ダメですぜ」
「わかってるよ。あたしの家われてるのかな?」
「その気配はありやせん。何度か行ったけど俺以外が入った形跡はゼロでィ」
「・・・・・・なに勝手に入ってんだよ」
「この1月、下着とか着替えとかどうしてたと思ってんでィ」
「・・・・・・帰ったら枚数チェックだな」
「失礼な。増えてることはあっても減ったりなんてしやせん」
「なんで増えんだよ」
「俺が好みの足しておきやした」
「お前なにやってんの!?」
「まあ、冗談はおいといて。なんならここに越してきやすか?」
「やだ」
「なら引っ越せィ。高杉のことがなくってもあそこら辺は危ねーっつってんだろ」
「いいだろ、別に。あそこ便利でいいんだよ、静かだし。遅くに出入りしてても何にも言われねーし」
「ここで働けば夜中出歩く必要もねェってか夜中出歩くな」
「あ、隠れ家があるじゃん」
「「「・・・・・・何言ってん(だ/でィ/ですか)??」」」
「だからー、もしもの時用に押さえてある家があるだろ?あれの一個を貸してあげればいいじゃん」
「あのなー、近藤さん。それは一応機密事項なうえ、そんなところに高杉と繋がってるなも知れねーガキ置くなんざ攘夷志士懐に抱え込むようなもんだぞ」
「誰が攘夷志士だ。喧嘩売ってんのかこのマヨ中毒が。禁断症状出てんなら遠慮せずに吸って良いぞ」
「一軒、まだ一度も使ったことのない物件があります。真選組に関わるような物も無いし、手入れとかして貰えると助かります」
「じゃあそこに引っ越しっつーことで」
「そうだな」
「ちょっと待て」
「じゃあ手配しますね」
「シカトかオイ」
「・・・・・・・・・・・・ていうかあたしの意志は?」