18.思い出はつめたく、キミの胸はあたたかい
 金曜夕暮れ時。
 一週間びっしりつまっていた仕事にようやく目処がつき、3日振りに使った玄関に倒れ込んだ。
 近づいている台風の所為で空気が今にも雨粒を吐き出しそうなほど湿っている。


(降り出す前に帰れて良かった・・・・・・)


 ぺたぺたと湿気を含んだ板が気持ち悪い。
 3歩も歩けば畳に辿り着けるのに起き上がるのが酷くダルい。
 起き上がって、布団を出して、お風呂に入って着替えて・・・・・・そんなコトする位ならこのまま薄汚れた床に転がっているほうがいくらかマシだった。






***






「――――――っ」



 あのまま眠ってしまったみたいだ。
 不意に浮上した意識。
 なぜか心臓が早鐘のように鳴っていて、息苦しい。

 イヤな夢をみた気がする。
 夢の中身は覚えていないけど。

 荒れ始めた風に窓がカタカタと揺れ、どこかの隙間が笛のように鳴く。


(師匠―――)


 胸に浮かぶ大切なヒトに、夢の内容は簡単に想像できた。
 体に纏わりつくイヤな汗を流しでもお腹の底に澱った不快感は消えない。
 濡れた髪もそのままに、今度は畳に寝転がる。場所が変わっても、相変わらず床はぺたぺた湿っていて、近寄るなと言われているみたいだった。


(そろそろ降り始めるかも知れないな)







***







 人の気配に目が覚めて、またうたた寝していたことに気が付いた。
 薄く目を開けると予想通り、見慣れた無表情が逆さにのぞき込んでいた。色素の薄い髪が安っぽい蛍光灯の灯りを透かして、思わず目を瞑った。


「こら、寝るなら布団出しなせィ」


 べちっと手刀がおでこに降ってくる。
 髪も濡れたままじゃねーかと言われて、のろのろと起き上がる。乾き具合から、ほとんど時間は経っていないようだった。


「何か言うことねェの?」

「?」


 向かい合わせにヤンキー座りをした不良警官は心持ち不機嫌。


「―――?あー・・・・・・久しぶり?」

「・・・・・・いや、間違っちゃいねェけどな。一週間もどこ行ってたんでィ」

「依頼が・・・ちょっと立て込んでて、この3日は帰れなかったんだよ」


 風向きが変わったのか、急に雨粒が窓を叩き出した。パタパタと鈍い音に思わず耳を澄ます。
 2人分の呼吸音は外を吹き荒れる風にかき消されて聞こえない。不安定な存在感に心細くなり、すぐ側にしゃがむ総悟に体当たりで倒れ込んだ。
 外回りで引き寄せてきた埃っぽさと、染み付いて落ちない血の臭い。間違いなく「ここにいる」感触にホッとする。
 と同時に、頬に触れる隊服の感触に無意識に舌打ちしてしまった。


「ちょっと態度悪ィんじゃね?」

「だって隊服嫌いだし」

「・・・・・・脱いだら色々ヤべェんだけど」

「だから我慢する」


 不機嫌に顔を押し付けて篭った声で答えると頭上で盛大なため息が吐かれ、ぐいっと顔面を掴んで遠ざけられる。

 どっちの態度が酷いって?

 勢いで後ろに倒れそうになる顔を鷲掴みにした手で支えられ、顔を覆う手のひらに視界を塞がれ何も見えないが、衣擦れの音で手の主が隊服と格闘中だと言うことだけ分かった。
 掴んだままだった顔はすぐに解放され、去り際に眉間にでこぴんをお見舞いされる。
 結構な衝撃に反射的に閉じた目を開くと、案の定総悟は上着から腕を抜いているところだった。一瞬迷った後、ベストも素早く脱ぎ捨てる。
 ワイシャツ姿になった総悟は、弾かれたおでこをさすり恨みがましく視線を送る私にほれって軽く手を広げてくれた。
 ポスっとそのまま倒れ込むと隊服とは違う柔らかい布の感触とさっきより強く香る総悟の匂いに思わずすり寄った。


「あったか〜」

「暑ィ」


 その体温に安心してほっと呟くと、頭上からは不機嫌な返事が降ってきた。






***






 抱きついてくる、というより正面から寄りかかってくるにどう対処したものか思いあぐねて半端に持ち上げた手がさ迷う。
 結局左手を腰に回して、右手をまだ濡れている髪に差し込んで小さな頭を包むように撫でた。
 冷えて冷たくなった髪と頭から発せられる熱が奇妙なコントラストを醸し出す。
 風邪をひくと叱ってやろうと思うと同時に、急に壁を叩く雨音が強くなった。風向きが変わったのだろうか。腕の中の小さな体がぴくんと跳ねる。触れていなければ気づかないような小さな変化。


「―――雨、苦手?」


 天候相手では排除してやることも出来ないが。
 少しだけからかうような調子を混ぜて、石鹸の強く香るつむじに尋ねる。


「・・・・・・総悟は優しいなぁ」


 予想に反して、帰ってきたのは小さな笑い声だった。


「雨に思い入れなんてねーよ。嵐も雷もいちいち怖がってたら生きてけねーだろ」


 でも、そういう声は確かに元気がなくて。
 確かに言われてみればその通りなのだが、もしかしたら昔は苦手で、でも独りでいるうちに慣れて行かるを得なかったのかと考えても仕方がないことがつらつらと頭に浮かぶ。


「ただ・・・・・・」

「ん?」

「なんか、今日は・・・・・・ダメだ」

「アノ日ですかィ、ぅぐっ」

「そんなんだから真選組はモテねーんだよ」

「だからって腹はやめろ」


 顔も上げずに人の腹に拳を叩き込み、深いため息を吐くとまた黙り込んでしまう。
 の不調による沈黙は居心地が悪い。


「何かあった?」

「う〜ん・・・・・・なんかクソ忙しかった覚えしか・・・・・・ぁ」

「何?」

 心当たりにたどり着いた様子に、先を促す。











「今日、両親の命日だ」












 聞いて少し後悔した。
















 が沈む理由なんて限られているのに、気がつけない自分が腹立たしい。


「そっか〜日にち感覚すっかり無くなってたからな〜。だからジジさまあんなに仕事詰めてたんだ・・・・・・無駄だったけど・・・・・・」

「おい」

「ははっ、人間ってすげーな。意識してなくても体は覚えてるもんなんだなぁ」



「全然・・・・・・覚えてなかった・・・・・・」

!」


 放心したまま淡々と続く独白を無理やり遮る。
 肩を掴んで揺さぶると、まるで初めて俺の存在に気が付いた様に、目を見開いた。

 どうしていいかわからない


「そうご・・・・・・」


 風の音にかき消されそうな小さな声。


「ごめん」

「何が」

「・・・ぃたい。どうしよう・・・・・・師匠に会いたいよ――――――」






***






 は、俺がの師匠にあまり良い感情を持っていないことを知っている。
 子供のような単純な嫉妬だ。格好悪くて言えたものじゃないが。
 だが、こんなとき一番に求められるのが、俺じゃなくて今はもういない「師匠」だということがたまらなく悔しい。


「師匠って・・・・・・両親の命日なんだろ?」

「今日は、思いっきり甘えて良い日なんだ。――――――あたしさ、自分でも酷いと思うけど、あんま両親のこと覚えてなくて。ちっさかったし、すぐに戦争行っちゃって、ずっと離れてたから、思い出とかちょっとしかなくて・・・・・・でもちょっとしかないのに、やっぱり両親は特別で・・・・・・もともと側にいなかったのに、本当に会えなくなっちゃって。この時期が近づくと、なんかワケわかんなくなっちゃって・・・・・・だから師匠は・・・・・・」


 前から少し精神的に不安定な部分があるとは思っていたが、それは昔からだったようだ。
 要領を得ない話から、両親のいなくなったショックと寂しさを埋めてくれていたのは「師匠」だったということは分かった。
 というか、再確認させられた。


「師匠って・・・・・・お前ェの師匠ってどんなヤツだったでィ」

「・・・・・・教えねー」

「・・・・・・あっそ」


 いつかと同じ答え。話はするくせに、詳細については何も教えてくれない。

 まさか俺たちに知られちゃまずい人物?

 頑なに正体を明かさない様子に、いらない疑惑が首をもたげる。


「大事なの」

「あ?」

「すっごく、大事なの。だから教えない」

「あーそうですかィ」


返事がそっけなくなるのは仕方が無いと思う。


「―――ウソだよ」

「は?」

「大事だけど、総悟になら教えてあげるよ。でも――――」

「でも?」

「今話したら泣いちゃうから。だから教えない」


 そういう声は既に涙声で。これは気付かない振りをしてやるべきなのだろうかと、少し悩んだ。


「じゃあ一個だけ」

「ん?」







「お前ェの師匠って男?」








 ずっと気になっていた。
 の胸に住み続ける人間。
 そんなこと聞いても仕方が無いという自制と、嫉妬以外何者でもない感情を顕わにするのが気恥ずかしさで聞くに聞けなかった疑問。
 意を決して口にしたソレにはふるふると肩を震わせ、押さえ切れない笑いをぶはっと吹き出す。


「〜〜〜っ、っ、・・・・っ」

「やな笑い方すんなィ」

「〜〜〜っ、お、おまっ、わ、わらかすな、やべ腹痛ェ」

「・・・・・・」

「痛!殴ることねーだろ!」


 声なき声で笑い続ける頭をはたくと大げさに痛がって見せたかと思うと、けたけたと笑いながら目尻に浮かんだ涙を拭ったり。

―――涙?


「――――――おい」

「斉賀公」

「え?」

「女の人だよ。すげー綺麗なの。マジ惚れるよ?」

「・・・・・・ばァか」



 少し誇らしげに話す様子に、ああ本当に好きなんだなと伝わってくる。泣かせたくなかったはずなのに結局泣かせてしまって、しかも本人は頑なに泣いていない振りを続けていて。とりあえず最大のライバルは女だったということがわかっても、やっぱり敵はデカいと再確認させられただけだった。
 彼の人を思い出して幸せそうに笑う姿はただ哀しいだけで。
 いつの間にか途絶えた笑い声は静かな寝息となり、まだ濡れた髪の冷たさと、着物越しに伝わる涙の熱さに俺はどうしていいか分からず途方に暮れた。



後書戯言
えーっと、第二幕スタートです。
07.10.14
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