小さなきつねは真っ白で
かぶき町の地下深く。
普通に生活していれば、まず立ち入ることのない闇を野太い歓声が切り裂く。


そこに1人佇む小柄な人影を気にかける者はいない。

白いキツネの面で隠した表情はこみ上げてくる吐き気を抑えるため歪んでいる。

蒼く色を失った唇は震えているが、瞳は今にも周囲を斬り裂きそうな殺気を帯びていた。
幸か不幸か、もともと殺気立った空気に紛れ咎められることはなかったが。



やがて白いキツネは踵を返し、闇を後にする。

そして地上へ出ると、一目散に走り出す。
今見てきたモノを振り切るように、全速力で町を駆け抜け、河川敷までやって来るとようやく足を止めた。
木の根元にうずくまり、逆流してくる胃の中身を逆らわずに全て吐き出す。
ツンとした異臭も気にならない。
乱れた呼吸を押さえ、これから待っているであろう騒動を予想して、唇を噛んだ。















「煉獄関とな・・・・・・」

「多分・・・・・・間違いないと、思う」

「・・・・・・ちゃんや。誰がそんなところまで入り込んでいいと許可した?」


所変わって朧狐屋店内。
青い顔もそのまま、報告に戻ったは、予想通りいつもにも増して渋い顔の店主と顔を合わせることとなった。


「ゴメンナサイ」

「全く無茶をする」

「・・・・・・」


だって好きであんな江戸の闇に足を踏み入れたわけではない。
全ては依頼人のため。
分かっていたこととはいえ、きちんと仕事をしてきたというのに怒られる事に理不尽さを感じざるを得ない。


「ふむ・・・・・・煉獄関、か」


老人は年齢を思わせない瞳を鋭く細め、今後の展開へ思いを馳せる。
依頼内容は、行方不明の父親を探すこと。
その過程で行き着いた地下闘技場。
未だ見つからない探し人。
答えは自ずと決まってくる。
のこの青い顔もきっと同じ答えに行き着きつつあるからだろう。


「調査はこれで終わりじゃな」

「なんで!」




聞き分けの無い、孫のような娘を窘める。


「わかっておるじゃろう」

「わかりません。死体も記録も何も無くて、ただあそこに居たからって死んでるなんて納得いきません」

・・・・・・」


人生の辛苦を味わってきた老人と違い、人よりは濃い人生を歩んできたとはいえまだ10代のには頭では理解していてもそれを気持ちに納得させることが出来なかった。
老人は当然、これ以上少女に煉獄関などに関わって貰いたくない。
しかしその闇に触れさせてしまった原因の一端は己にもある。
自ら動けない以上、捜査の途中でが好ましくない場所に辿り着いたからといって責められるわけが無いのだ。


「誰があそこを仕切っているか知らないわけではないじゃろう」

「―――天導衆?」

「目を付けられたりしたらどうなるかわかっとるな?」

「うん」

、わし等の力で奴らをどうこうするのは無理じゃ。絶対に。これだけは心して行きなさい」


連絡を欠かさないこと、天導衆に直接喧嘩を売らないことを約束させ聞き分けの無い従業員を見送る。
きっと彼女が持ってくるであろう無力感と焦燥感にため息を漏らしながら。










2週間が過ぎた。


闘技場に見切りをつけ、内部へ侵入を試みること3回。
うち2回は報告していない。
資料室らしき部屋に入り込み、記録をひっくり返してもたった一人の罪人の名前を見つけることは出来なかった。

探し人、つまりは依頼人の父にあたる人物は人殺しの罪を犯した犯罪者だった。
刑期を終え、出所日になっても帰ってこない。
そんな相談を受けた古本屋の看板を掲げる名も無い探偵事務所は唯一の従業員であるを派遣し、その足取りを追った。
そして辿り着いた地下賭博場『煉獄関』。
調査していくうちに、以前から、煉獄関で罪人を戦わせているという噂がある事がわかってきた。

いよいよ探し人の生存確率は低くなる。

依頼人にとっては、たとえ罪を犯したとはいえ唯一の親だ。
心中複雑であっても、迎える準備をしていたのだろうことはこうして依頼が持ち込まれたことからも分かる。
しかし賭博に関わる人間―――この場合、人間というより天人だ―――にとってはただの賭けの駒でしかない。
一々記録が残っているはずが無いのだ。

そんなことは百も承知。
それでも、自分の目で確かめるまでは諦め切れないは連日江戸の闇へ足を運ぶ。




捜査の基本は現場百回。

それを忠実に実践しているわけではないが、正直手詰まりだった。
個人で調べるには限度があり、途方に暮れて闘技場を見下ろす。

すり鉢状になった底の部分では、今日も鬼の面を被った人間が、やはり同じ人間に刃を振るう。
鬼道丸の腕は凄まじく、一振りするごとに血飛沫が舞い、人の命が失われる。
目の前で行なわれている明らかな殺人に、しかしに出来ることなど何も無く、ただ白い狐の面の下、歯を食いしばり掌が裂けるほどに拳を握りしめるしかできないのだ。

ここにいても掴める事など何も無い。

終わる気配の無い狂気の宴に見切りをつけ、そっと踵を返して闘技場を後にする。
初めて訪れたときのように、取り乱すことは無いが沸々と不快感は胃の奥で燻り続けている。

遺品、遺骨。
そんなものを望むのは贅沢だろう。
来ていないのなら、どこかへ逃げ延びているのならそれでもいい。
だが自分たちの調査網に引っかからない訳が無い。
せめて「ここ」にいた証拠でもあれば。

死を証明したい訳じゃない。
だけど、残酷な答えでも、示されなければ家族は前へ進めない。


段々自分の考えと行動と上がらない成果に嫌気がさし、ますます思考はループする。


「おい!」


すぐ後ろに、人が迫って来ていることに気がつかないほど。















「お前ェ、こんなトコで何やってんでィ」


聞きなれた声を受け、しかしは気づかなかった振りをして歩き続ける。
人違いだと思ってくれればいい。


「おい!んなお面で誤魔化せると思ってんのか?」


白いキツネの面は被ったままだ。
もちろん顔を知られないためだがあわよくば、知り合いにも気付かれたくなかった。
あんな所に顔見知りがいることが、まずショックだった。


「おい!」


尚も歩き続ける腕を取られ、渋々振り返る。
仮面越しには予想通りの顔があった。
私服姿の沖田の手が伸び、の顔から仮面を取り去ると、下から現れた、予想以上に強張った青白い顔に驚いた。


・・・・・・」

「・・・・・・」

「こんな所で何してんでィ」

「・・・・・・散歩」

「散歩はもっと明るいところでやりなせィ」

「充分明るいだろ」

「誤魔化すなよ。こっちは地下から尾けてきてんでィ」

「・・・・・・」


黙りこくったに、沖田のほうも苛立ってくる。

どうやら逃げ道は無くなったようだ。


「別に。キミには関係ない」


それなら開き直るしかない。
は真っ直ぐと沖田の目をみつめ、しかし感情の無い声で突き放した。


「関係ないことねェだろ。あそこが何なのか分かってんのか?」


沖田にしてみれば、ただ彼女の安全を気遣っての言葉に過ぎなかった。
己を知り、無鉄砲な行動は少ない方とはいえ、職業柄厄介ごとを吸い寄せるがこんなところにいる理由など一つしかない。
それでも問わずにはいられなかった。
闘技場での姿を見かけたとき、どんな気持ちになったと思っているのか。
しかし一向に進展しない捜査に疲弊し苛立つにそんな沖田の心情など伝わらなかった。


「そっちこそ、なにやってんだよ?あたしなんか追いかけてる場合じゃねーだろ」

「そうも言ってらんねェ。女子供がチョロチョロしていい場所じゃねェことくれーわかんだろ?それともまさかお前ェ賭博に関わって」


最後まで言い切ることは叶わなかった。
頬に衝撃を受け、殴られたと気づいたのは口内に血の味を認めた時だった。


「―――てめェ・・・いきなり何しやがんでィ」


相手がとはいえ、沖田のまとう空気が殺気立つ。
しかし並みいる攘夷浪士たちを怯ませてきたそれも、は竦む事はなかった。
危機を覚えないほどに頭に血が上ってしまっている。


「ふざけんなよ。癒着してんのは貴様等幕府の方だろ!どうせ何もできねーんだから引っ込んでろよ!」


















「ちっ・・・・・・」


の走り去った路地を見やり、舌打ちする。
拍子に切れた口内が痛み、血が混じった唾を吐き捨てた。
殴られた頬に手をやるとかすかに熱を持っていた。
平手ならまだしも、拳骨で殴られるとは。
思い返してもそうヒドいことを言ったとは思えない。

だけど、泣いているように聞こえた叫び声が耳について離れない。




    どうせ何もできねーんだから




(やってやろうじゃねェか)

後書戯言
またなんかケンカしてます。多分3話で終了予定。
07.12.16
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