抱えきれない矛盾が押し寄せる
その後、結局2人は一度も顔を合わせないまま事件は収束した。
屯所の一部屋にわさわさと詰め込まれた子供たち。
始めこそ、武装警察の空気に呑まれ大人しくしていたが、そこは子供。
いくらもしないうちにもとの調子を取り戻し、一番隊控え室は託児所か迷子案内所のような騒ぎになった。
その騒ぎを背に、沖田は中庭に足を投げ出しぼんやりと空を見上げていた。
外は霧雨。
音のない雨に耳を済ませると、脳裏に白く煙った彼女の後ろ姿が浮かぶ。
後ろ頭に掲げた白い狐の面の空ろな視線はどこを見ているとも知れない。
(違ェ。あの時お面はちゃんと顔につけてたっての)
万事屋を焚きつけ、結局真選組も巻き込んで煉獄関は潰したものの、一連の騒動の間、とは顔を合わせていない。
当然、全ての成り行きは耳に入っているはずだ。
だけど一段落ついても彼女は一向に顔を見せない。
家を訪ねても捕まらない。
帰っている形跡はあるし、目撃証言もあるからまた失踪したわけではないらしい。
つまりは沖田が避けられているということで。
ぼんやりと極細の水の糸を目で追っていると頭上から不機嫌な声が煙草の煙を連れて降ってきた。
「なんでィ、今日は非番ですぜ土方さん」
「だからなんで非番なのに屯所にいんだよ」
「ひでェや、土方さん。こんな雨の中可愛い部下を追い出そうだなんて」
言葉の通り非番の沖田は隊服を着ていない。
思ってもいないようなことを言いながら廊下を横切るように寝そべると、土方は無邪気に騒ぐ子供たちのほうを見やり新しい煙草に火をつけた。
「誰が可愛い部下だ」
「俺」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・なんですかィ。雨にも増して鬱陶しいですぜ」
「・・・・・・今度は何だ」
「だから何が」
「あの小娘と何があった?」
相変わらず沖田のほうは見ないまま、世間話のように続ける。
ある程度予想していたのか、沖田も平静を保ったまま白を切る。
「さて?何のことですかィ?」
「さあな」
普段何を考えているのか分からない沖田だが、ことに関しては面白いほど分かりやすい。
特に喧嘩をしているときは普段の傍若無人な態度が嘘のように「まとも」な人間になってしまう。
寝坊もせず、見回りもサボらず、何よりも土方に突っかかってくることがなくなる。
本人は何事も無く振舞っているつもりな様だがその功は全く相していなかった。
正直子供の色恋に興味はない土方だったが、奇妙に大人しい沖田は不気味で調子を狂わされる。
興味はないが、この得体の知れない静けさは逆に体に悪い気がする。
とはいっても沖田が素直に相談などしてくる訳など有り得ないわけで。
そんなことが起ころうものならそれこそ天変地異の前触れ。
自分はすぐさま祈祷師を呼びに走るだろう。
それしにても。
「薄情なもんだな」
「・・・・・・」
「さんざん俺らけしかけといて、自分は顔も出さねぇ」
煉獄関以来、姿を見ていないのは土方も同じ。
もっとも、もともと頻繁に顔を合わせているわけではないからなんとも思わないが。
「分かってねェな」
「あの家にも帰ってねえらしいじゃねーか」
監察からあがってきた報告をポロリと漏らす。
すると我関せずの様子を貫いてた沖田が身を起こした。
「土方さん・・・・・・あんたやっぱりを見張ってたんですねィ」
「別に小娘を、じゃねぇ。小娘を狙ってくるかもしれない高杉を、だ」
「おとりって訳かィ」
「保護だ」
「それでも!・・・・・・見張られてる方にとっては同じでさァ・・・・・・」
を監視下に置くのは、本人も了承していることで、今更蒸し返すようなことじゃないはずだ。
しかしその時はなにも言わなかった沖田が、今日は妙に突っかかる。
「・・・・・・?まさかそんなことでケンカしてんのか?」
「まさか。・・・・・・てかケンカなんかしてやせん」
「今更だろ。自分が張られてことも、あいつは知ってるぞ」
「だから違うっての」
「ならなんでアイツは顔も見せない?自分が関わってる事件の結末も見届けない?詫びなり礼なり入れに来ても良いようなもんだろ」
煉獄関の黒い噂は、以前から確かに囁かれていた。
しかし沖田が表立って動いたのはそこでと接触したのがきっかけだと、土方は思っている。
万事屋も巻き込んで。
色々な意味で多くの人間の首がかかっていたことを、が自覚していなかったとは思えない。
幕府の、天人の権力を知らないはずが無い。
「分かってねェな、土方さん。アンタはそんなんだからいつまでたっても土方なんでさァ」
「ちょっと待て。それに何の問題があんだ?」
しかし沖田はわけのわからない罵倒の言葉と共に、その考えを否定する。
「別にが詫び入れる必要なんてありやせんぜ。もともとあそこには俺が先に目ェつけてたんでィ。はそこに通りがかっただけでィ」
「何であんな小娘があんなところを通りがかるんだよ」
「それに、たとえこの1件で真選組が潰れたりしたって、あいつは何とも思わねェ。それこそ願ったり叶ったりなんでさァ・・・・・・」
自分で言って傷ついたのか、沖田の声からどんどん力が無くなっている。
土方への反論はいつのまにかただの独白へと変わっていた。
「幕府が大っ嫌いなんでィ、真選組に恩も義理も感じるわけがねェんだ。たとえ俺たちが腹斬ることになったってこれっぽちも責任感じたりしねェ」
あまりに自虐的な言葉に、土方は耳を疑う。
真選組がどうこう以前に、沖田が切腹などしようものならは後を追うどころか爆弾背負って江戸城に特攻しかねない。
そんなこと、少しでも2人を知ってる人間なら分かるというのに。
「お前、それ本気で言ってんのか?」
「さあ・・・・・・ただ、そうでも思ってなきゃやってらんねェでしょ」
「確かにそこらの攘夷派よりも思想は過激だが・・・・・・」
「ホント、が攘夷派も嫌いで助かりまさァ」
「・・・・・・もし、が攘夷活動を始めたら、どうする?」
そんなことになるとは思ってもいない。
だが最悪の事態が起きた時、沖田はどんな対応を取るのだろう。
まともな答えが返ってくると期待などしていない。
「止めますぜ」
しかし、やはり予想に反して冷静な答えが返ってきた。
「はそんなことしやせんよ」
攘夷活動のもたらす悲劇を知っているがそんなことするはずがない。
「でもね、土方さん。幕府側の俺が、の傍にいていいのかわかんねェんですよ」
幸か不幸か討ち入りの日、は煉獄関には行っていなかった。
報告内容の無い中間報告に向かい、煉獄関の閉鎖と依頼が取り下げられたことを聞かされたのだった。
胸に残るのは、やりきれない無力感。
結局自分がしたことは、危険を冒し、捜査費用を費やし、沖田と喧嘩をしただけだ。
一方的に殴りつけ逃げるように走り去ってから何日が過ぎただろう。
家にはほとんど帰っていない。
あんな風に啖呵をきって、一体どの面下げて帰れるというのか。
以前ならまだしも真選組所有の家に移ってしまった今、帰る気になどなれなかった。
「まあ、遠慮せずに食え」
「かけうどんに遠慮なんかしません」
調査中に討ち入りがあったせいで決定的な証拠を見つけることもできず、不完全燃焼のままやりきれない思いを抱えていた所を白いペンギンおばけを連れた指名手配犯に拉致された。
どうもこの指名手配犯はのことを実年齢より幼く捉えている節があり、今日も元気がないのは腹が減っているせいだと決めつけ、行きつけのそば処へ連れてきた。
偉そうなことを言っても、切迫した経済状況ではざるそばかかけうどんが精一杯だったが。
食べないことには解放されないことを悟っているはしぶしぶ箸をのばす。
行きつけというだけのことはあり、出汁のきいたつゆに不振だった食欲が少し戻った気がした。
「あの真選組の若造と何かあったか?」
「・・・・・・なんで」
「お前にそんな顔をさせられる相手は限られている。」
いきなり図星をつかれ、ため息しか出ない。
箸につままれたカマボコがつゆの中を泳ぐ。
「食べ物で遊ぶな」
「―――あたしが、いけなかったんだ」
「だから幕府の狗などと関わるなと言っただろう」
「ホントに、ね」
いつもなら、攘夷浪士に言われたくないと突っぱねるセリフにも力無く同意しとうとう箸を置いてしまった。
視線を落としたままのに桂の眉が跳ねる。
「煉獄関に関しては、真選組にしてはよくやった方ではないか」
少女のあまりの落ち込みように、柄にもなく敵の肩を持つような発言が桂の口を吐いて出る。
「結局親玉逃がしちゃって、あそこは潰れたけど、根絶やしになんかなってないし・・・・・・」
「軟弱な芋侍どもにはそれが精一杯だろう」
もっとも、それは一瞬で崩れたが。
「そんな事はどうでもいいんだ。幕府と天人の癒着は今に始まったことじゃないし、真選組なんかに期待してない。―――あたし一人で何か出来たかって言ったら・・・・・・なんもないけど」
敵は途方もなく大きくて、ぶつけようのない怒りを持て余しているのか。
少し違うような気がして、桂は黙って続きを待つ。
「・・・・・・隊長さん、あたしのこと疑ってるんだ」
しばらくして、ぽそっと漏れ出た呟きに、今度こそ涼しげな目元が驚愕に彩られる。
「なんでかな・・・・・・幕府嫌いを公言してるから?た・・・かす、ぎと、関係が、あったから?両親が戦争行ってたから?あたしは・・・・・・」
「・・・・・・」
「ま、あたしも、真選組なんか信じてないから、おあいこか」
にこっと作った作り笑顔には、はっきりと傷ついた跡が見え、その痛々しさに桂の胸が痛む。
こんな表情をする娘ではないはずだ。
「それは、違うぞ」
「違わないよ。あたしはこんななのに、相手には信じてもらいたいなんて、ワガママもいいとこだ」
「違う」
「・・・・・・桂小太郎が真選組を庇うのか?」
嘲りを含んだ声色。
取捨選択を常に考え、曖昧さを許さないに矛盾した態度は通じない。
しかし、別な意味で生真面目な桂は少女の勘違いを正さずにはいられなかった。
「あの若造がそう言ったのか?」
「?」
「沖田が、お前を疑っていると言ったのか?」
「・・・・・・煉獄関に、何か関係があるのかって・・・・・・ずっと尾けてたんだって。うん、それは知ってたんだけどな。やっぱ面と向かって言われるとショックだった・・・・・・」
「それは・・・・・・疑っての言葉か?」
ぽそぽそと紡がれる言葉は、第3者の立場で聞けば決して嫌疑をかけているようには聞こえない。
「そうだろ?」
「俺には、心配しているだけに聞こえるがな」
地下闘技場のようなところで顔見知りの少女を見かけ、放っておける者などいないだろう。
それが思い人なら尚のこと。
さらには普通の町娘などとは比べようもないほど、厄介事を抱えている。
まさか沖田が、が煉獄関の関係者だなんて思っているはずがない。
誤解する要素などあるように思えないが、心配しているという考えこそ寝耳に水だったのか、は伏せていた瞳を大きく見開く。
頭がいいのに、どこか一つの思考に固執してしまう感のある少女の危なっかしさは沖田でなくてもいらぬ気をかけてしまう。
「そんなの・・・・・・わかんないじゃん」
「なら、お前にもわからんのではないか?」
「?」
言っている意味のわからないは首を傾げる。
「沖田が本当にお前を疑っているのかなんて、沖田じゃないお前にはわからないはずだ」
「・・・・・・桂さんは、どう思うんですか」
「そんなことは知らん」
「は?」
「お前が俺たちの仲間にならないということは勧誘を続けている俺ならわかりきっていることだ。それ以上に天人と通じているなどありえん。考えるまでもない」
「・・・・・・いや、そこまで言われると・・・・・・それほどでも」
「ないのか?」
「あるけど」
沖田の言葉と、桂の言葉と、自分の気持ちがの中で渦巻き混乱が起きている様子が手に取るようにわかる。
「お前が腐った幕府もその狗も信用ならなくて、むしろ1日も早く共倒れしてしまえと思っているのは構わん」
「いえ、そこまでは」
「全く天人と迎合するなど。私利私欲に目のくらんだ官吏などもはや江戸にとって毒になれど「すいません、帰っていいですか」
ついつい語りに熱くなってしまい、気がつくとは呆れかえった様子で今にも席を立ちそうになっていた。
「待て、まだうどんが残っている」
桂自身、この時まで2人の箸が止まっていたことに気付かなかった。
食べ物を粗末にすることを良しとしない2人は再び箸を取り、大分伸びてしまった麺をすする。
歯ごたえのない麺をもそもそと食べていると、解けかけていた思考が再び絡まりだしそうだった。
「の気持ちはのものだ。だが、沖田の気持ちまで決めつけるのはどうなんだろうな」
あまり美味しくないうどんを無心で吸い込んでいると、ぽつりと聞こえた言葉。
顔をあげると涼やかな顔は蕎麦に向けられたまま。
はもう一度その言葉を反芻し、ふっと頬を緩めると、残った汁を一気に呷った。