たくさんの嫌いと、ひとつの好き
続いていた雨が止むと、今度は嘘みたいな好天気が戻ってきた。
空が晴れたからと言って、沖田の気分も晴れるほど単純にできているわけでもなく、すっかり定位置になった廊下に座り最後の一人となった子供の姿を視界の端に留めておく。
最初は屯所でも持て余すほどいた子供たちも一人二人と捌けていき、今では一人の少女が残るだけとなった。
騒ぐ相手もいないからか、庭の隅で毬をついて遊んでいる。
(捌けるって、なんか人売りみてェだな)
相変わらず、と顔を合わせないままの日々が続いている。
もっと荒れるかと思っていたが、自分でも意外なほど落ち着いていた。
沖田はを探すことはしなかった。
監察を始め、お節介な隊士たちが目撃証言を寄越してくるお陰で行方不明ではないことは分かっている。
煉獄関だけが彼女らの案件ではないし、彼女は探偵業だけでなくバイトも掛け持っている。
偶然を装って、街で捕まえることは可能だった。
だけど沖田はあえての元へ姿を現すことはしなかった。
幕府の側である自分の存在が、の心を乱す原因になるのなら、と―――
一緒にいるから―――
交わした約束が重くのし掛かる。
(隣に居なくたって護れる)
そう自分に言い聞かせ、なんとか自分を抑えているのが精一杯だった。
今会いに行ったらきっと自分はを傷つける。
本当は、捕まえて閉じ込めて外の世界から隔離してしまいたい。
自分しか知らない場所で、自分が唯一の外界との接点で。
そうすれば、きっと汚い世界や辛い事実から護ってあげられる。
だけど沖田は、その思考を現実にうつすことは罪だと知っていた。
そして実行しない理性も持ち合わせていた。
(だけど想像すんのは自由でィ。監禁かぁ・・・・・・別に軟禁でも構わねェけどアイツ絶対抵抗すっからな。手錠は欠かせねェよな。縄・・・鎖・・・・・・やっぱ縄かな)
会ったらきっと攫ってしまう。
だからこの衝動が治まるまでは、会わないでいようと決めた。
鞠を追いかけていた少女は、思考に没頭しているうちに転けでもしたのか地面にしゃがみこんでいた。
泣き出さなきゃいいやと投げやりに視線を泳がすと屯所の周りを囲う塀の一角で動く影が目に留まる。
植木の影に何かいる。
侵入者か、と沖田は刀に手をかけた。
枝を鳴らして現れたのは、今し方思考の中で会わないと決めていたその人だった。
「ぅ、ぎゃん!」
賊の侵入を想定し、殺気立った目と視線がかち合い、驚いたは腕を滑らせ頭から地面にダイブした。
完全な受け身は取り損ね奇妙に首と頭だけは守る形で全身で着地した侵入者に、沖田は混乱した頭のまま駆け寄る。
(今は会わねェっつってんのに)
いつだっては沖田の思惑を完全に無視した行動をとる。
打ち所が悪かったのかなかなか起き上がれないに向かって一直線。
勢いよく振り下ろした刀はガツンと鈍い音で受け止められる。
器用に鍔に添えられているのはいつもの物騒な扇。
刀越しに幾日ぶりかわからない視線が交わる。
「な、な、ななんでいっつも斬りかかってくるんですかっ」
「侵入者は斬り捨て御免でさァ」
競り合っていた刀に一瞬力を込め、そのままの流れで鞘に収めると不自然な体勢でいたは尻餅を着いてしまう。
「仕舞えよ」
「先に斬りかかってきたのはそっちだ」
「もう引いた」
促され、は地べたに座り込んだまま懐に扇を収めた。
「何しに来たんでィ」
地面を睨みつけたままなかなか口を開かないに痺れを切らし、沖田が発した言葉は、突き放していると取られてもおかしくないようなものだった。
「・・・・・・散歩」
「塀乗り越えてか」
「立ち止まらない主義なんだ」
「嘘吐け」
視線は合わせず俯いたまま覗く頬が少し青ざめている。
会わないと決めていたし、会わなくても平気だと思っていた。
だけど本人を目の前にするとそんなものはただの妄想でしかなく、それこそ攫って閉じ込めてしまうほうがよっぽど現実味を帯びているような気がした。
何も話そうとしない。
沖田は彼女の真意がわからず、ギリギリ手の届かない間合いの外に腰を下ろし、ぐしゃっと前髪を撫でた。
(一体何だってんでィ)
長期戦覚悟で向かい合うと、長い沈黙の後は伏せていた顔を上げ、一撃目より大分離れた沖田を正面から見た。
戸惑いを含んだ視線が、固い緊張を孕んだ視線と交わる。
「仲直り、しに来たんだ」
そして自信なさげに話し出す。
「でも・・・・・・別にケンカしてないかな、とも思って」
語尾が力なく弱まり、眉が寄っている。
「とりあえず、来てみた」
あまりに行き当たりばったりな行動にこみ上げてくる笑いを抑え先を促す。
「怒ってる?」
恐る恐るのぞき込んできた視線は不安そうに揺れていた。
聞かれて沖田は返事に困る。
の言うとおり、もともとケンカはしていない。
口論もしていないし、沖田が怒るようなことは無い。
一方的にが怒って殴って避けてきたのではないか。
腹を立てているのはむしろ、煉獄関の様な場所を作り上げた天人とそれを駆逐できない自分たちの不甲斐なさ。
感情的にはの方が正しいのだ。
ただ、強いて言うならせっかくの決意をあっさり不意にされてしまったことには腹が立つ。
つまり結論は―――
「怒ってる」
平らな声で短く告げると不安そうな顔が引き締まる。
あの時から青ざめた色しか見ていない。
「あたしは、仕事はやめない。探偵業をやめるのは江戸を出る時だ」
それが拾ってくれた人への恩義。
「だから、なんて言われたってこれからも危ないとこに行くだろうし、またキミに疑われるようなことすると思う」
「そんなこと、分かってますぜ。の仕事も、あそこにいた理由も、分かってる。だからこそ我慢ならねェんでィ」
地面に立てた爪に力がこもり、第一関節から先が白くなっている。
「だから、もう・・・・・・一緒にいない方がいいかとも、思ったんだけど」
「ほー、奇遇だなァ・・・・・・俺もそう思ってたとこでィ」
ああ、自分は何を言っているのだろう。
ここで肯定してしまったら、とてもじゃないが許容できない結論に達してしまいそうだというのに。
気のない相槌を返すとの強張った頬にさらに緊張が走る。
「でもっ」
ガリっと地面を削る音がした。
何においても、この娘は加減というものを知らない。
「なんであたしがっ、天人や幕府の所為でっ、我慢しなきゃなんねーんだよっ」
吐き出されな言葉より、泣きそうにかすれた声より、なによりも、今にも弾けそうな指先が怖くて、力を込めすぎて色を失ったそれを地面から引き剥がす。
感情の高ぶりがそのまま手の震えに出ていた。
「おまっ、こえーよ」
「っ・・・・・・聞いてんのかよっ」
「聞いてまさァ。お前ェこそ何言ってんでィ。会わない方がお互い平和だってことくらい俺だって分かってんだよ。だからわざわざ会わないようにしてたってェのに何ノコノコ出てきてんでィ」
「!?・・・・・・だって・・・・・・」
「だって、なんでィ?」
「・・・・・・っ」
また黙り込んでしまったかと思うと、硬いだけだった瞳に水の膜が張った。
睨み合っていた所為でモロにそれを直視してしまい、ギクリとする。
「そばに、一緒にいるって・・・・・・」
「・・・・・・あれは」
「一緒にいるって言ったじゃねーかよ!うそつきっ!」
「っ!?てめっ」
心外だった。
人が一体どんな気持ちで過ごしてきたと思っているのか。
約束を簡単に反古するようなヤツだと思われているのか。
激昂しそうな頭をやっとの思いで宥めすかす。
落ち着け俺。つまりこいつは子供なんだから。俺より2つも3つも年下で、年の割にはしっかりしているように見えてもその寂しがりやっぷりたるや実年齢マイナス5歳くらいの子供っぷりなんだ。いつだって自分勝手に本能のままに突き進んで俺の都合なんてこれっぽっちも考えない癖に最後には絶対泣きそうになりながら俺のところに戻ってくるんだ。分かっていたのに、散々経験させられてたのに、忘れてたわけじゃないけど俺も所詮子供だったってことか。会わなくて平気なんてこと全然無い。ただ大人ぶってただけだ。
「ああーっ、くそっ!」
突然声を上げた沖田に、表面張力の限界に挑戦中だった瞳が丸くなる。
「もうやめでさァ。我慢は性にあわねェ」
「・・・・・・何の話だよ」
「ごちゃごちゃ考えんのは止めでィ。俺ァもともと頭使うのは得意じゃねェんでさ」
「だから」
「仲直り、でさァ」
「!?」
持ったままだった手を思いっきり引っ張り、自分に比べてだいぶ小さい体を腕の中に収める。
久しぶりの感覚に眩暈がした。
「でも俺ァ謝りやせんぜ。避けてたのはお互い様だからな。んな泣きそうになる前にとっとと来いってんでィ」
「泣いてねー」
「意地っ張り」
「天邪鬼」
「ガキ」
「そっちの方がガキ」
「お前ェの方がもっとガキ」
どちらも譲らない言い合いの間に、抱きしめたはもぞもぞと収まりの良い位置を探り、沖田は巧妙にその邪魔をしていた。
お互い手にこもる力は抱き合うより、取っ組み合うという強さになり、思うように動けないが痺れを切らし抱き込む腕を振り切るとニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべる沖田と、相変わらず少しだけ水を湛えたの視線が絡む。
「あたし、いつかキミたちの敵になるかもよ」
唐突に。
じゃれ合うに相応しい雰囲気で、相応しくない言葉がの口を吐く。
一瞬、意味が分からず、でも内容が頭に届いたとき、沖田の口も自然と言葉を紡いでいた。
「例えが敵に回っても、俺は」
が敵。
想像してみて、案外それがあっさり起きそうな気がしてきた。
「そしたら、俺が真っ先に斬ってやらァ」
要は、殺してやると言っているのには嬉しそうに笑った。
その笑顔に、やっぱりそんな日は来ないだろうとあっさり自分の想像力を否定した。
他の誰の手にもかけさせたりはしない。
その為にも、ずっとそばに――――――
「・・・・・・ほっぺた、痛かった?」
これまた的外れなことを言ってきた。
確かに真選組一番隊隊長である自分の顔を拳骨で殴ってくる者はそういない。
「ものすごく」
「・・・・・・ごめんなさい」
珍しく殊勝な言葉と共に、頬にやわらかい熱を感じた。
一瞬息が止まる。
「っ・・・・・・そういや、口ん中切ったんだった」
「調子に乗るなエロ警官」
あわよくば、舐めて治してくれないかと思っての言葉はあっけなく流された。
悔し紛れに軽く口付けると、自分の行為は棚に上げてひどく驚いた顔をする。
「すげーなぁ。ホントにあの人の言うとおりだ」
「・・・・・・お前ェあんま何でも万事屋の旦那に相談すんなよ」
「万事屋さん?してねーぞ?」
「じゃあ誰の言うとおりだったんでィ」
「んー?ヤキモチですかー?ぅお!?噛むなよ!」
「人指指しちゃダメって寺子屋で習わなかったんですかィ」
「寺子屋なんて行ってませんー」
「俺も行ってねェけどよ・・・・・・て違ェ。誰に言われたんでィ」
「・・・・・・・・・・驚くぞ」
「ほお?」
「そしてあたしは怒られるな」
「ほう?」
「聞いてびっくり、桂小太郎だ」
「・・・・・・おま、ちょっと殴らせろ。泣くまで殴らせろ」