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トンネルを抜けると、雪国でした――――――
なんてことはなく。
否、間違いではない。
しかしトンネルを抜ける以前からちらちらと積雪はあったし、もっといえば出発地である江戸でも雪は降っていた。
とはいえ、やはり山と街ではその色、積もり方、迫力が比ではない。
だからバスがトンネルを抜けたとき、車内では感嘆の声が上がった。
しかし本来冒頭の台詞をもっとも言いそうな少女は乗車してからずっと夢の中の住人だった。
雪山の中を右へ左へ。うず高くそびえる雪の壁は、バスの背を抜きそうだった。
もっとも早くも宴会モードに突入している乗客は、外の景色より手の中の酒に夢中だったが。
そんな風情の欠片もない一行を乗せたバスはようやく目的地に到着した。
山の中腹、斜面に張り付くように建っている旅館は飾り気のない、しかし歴史だけは感じさせるような建物だった。
つまり、古い。
入り口にありがちな予約客を歓迎する札だけは達筆な白字で「真選組御一行様」と書かれている。
なんてことはない。
今日は1泊2日真選組の慰安旅行だった。
道中ずっと夢の中だったは憮然とその字を睨み付ける。
「あたしは真選組じゃない」
「真選組で連れてきてやってんだから我慢しなせィ」
「頼んだわけじゃねーよ」
確かに頼んで連れて来てもらったものではなかった。
それどころか、バイト先で待ち伏せされ、終わったと同時に拉致されたのだった。
何も聞かされずバスに乗せられてしまっては飛び降りることもできない。
仕方がないので不貞寝を決め込んだ。
そして目覚めてみれば一面の銀世界。
一瞬目を疑ったが、目の前にたたずむ風情ある旅館、浮かれくさった隊士たち。
状況は一目瞭然だった。
「でかい風呂なんて入り慣れてんだろうに」
屯所には大勢の隊士のために大浴場が用意されている。
「分かってねェな、。真選組といえば慰安旅行。慰安旅行といえば温泉。温泉といえば混浴。混浴といえば」
「キミはホント清清しいまでに変態だな」
バスを降りた沖田は荷物を隊士に運ばせ、にいたっては手ぶらで連れてこられた所為で荷物自体がない。不満はいろいろあれど、寒さには耐え切れず、はしぶしぶと歴史を感じさせる建物に足を向ける。
「男のロマンでィ」
「ろくなモンじゃねーよ、男のロマン」
わさわさと荷物が運び込まれる横で、幹事の隊士が受付をしていた。その横には、これもお約束の土産屋。後で冷やかそうなどと、少しは観光客らしいことを考えながら、もう1度歓迎の黒い札へ目をやる。
どんなこだわりか、はたまたキャンセルが出たのか、真選組御一行様の札から3枚分の空白を挟んでもう1枚黒い札がかかっていた。
「・・・・・・知ってたのか?」
「まさか。俺幹事じゃねェし」
「ああ、キミ幹事とか出来ないだろ。てかしたこと無いだろ」
「あるわけねェだろ」
「だろうね」
2人が目にし、そして見なかったことにしようかと思わせた札にはやはり達筆な字で「万事屋銀ちゃん御一行様」とあった。
***
カポーン
と、効果音が聞こえてきそうな雰囲気。
「ったく、なーんでこんなトコ来てまでお前ェらと温泉入んなきゃなんねーんだよ」
「そりゃこっちの台詞だ。無職の癖に温泉旅行たァ良い身分じゃねぇか」
「そっちこそ市民の血税使って温泉ですか。俺たちはそんな事のために税金払ってるんじゃねーぞ」
「テメーはそもそも税金払ってんのか?払ってたとしてもテメーの糖分まみれの血税は使わねー。選り分けて避けてやる」
旅館の入り口で見た名前は見間違えや幻などではなく、夕飯の前にひとっ風呂浴びようと浴場へ向かったところ、何の因果かバッタリ顔を合わせてしまった。
こちらが先だ、いいやこっちだ、むしろお前ら温泉入んなと当然の様に入り口で一悶着起こり、結局一同仲良く浸かることになったのだが。
「うっせーですぜお二方。文句あんならとっと上がっちまえ土方コノヤロー」
お陰で沖田の機嫌は最悪だった。
「やーい!怒られてやんの」
「アンタもですぜ、旦那。髪湯に浸けねェで下せェよ。天パが移る」
「「・・・・・・」」
いつも以上に冷たい言葉にほかほかと立ち上る湯気が凍りつく。
「なんか沖田さん機嫌悪くないですか?」
「多分ちゃんを連れて行かれちゃったからだと思うよ」
広い浴場のなか一際没個性な一角で新八と山崎はひっそりと言葉を交わしていた。
「ったく、なんでがいんのにこんなむさ風呂入んなきゃなんねーんでィ」
「あんたもそのむさ風呂構成してる1人でしょうが」
「あ"あ"??」
「あー―――いや、でもちゃんがいてくれて助かりましたよ、ホント。神楽ちゃん1人じゃちょっと心配でしたから」
「もう1人で風呂も入れねェような年でもねーだろ」
「・・・・・・でもやっぱ広いお風呂に1人じゃ寂しいじゃないですか「ぅわっっっきゃーーーーっ!!!」
男湯は大勢だと言うのに、壁一枚を隔てて1人女湯に入るのは寂しいだろうと、そう新八が言おうとしているとき、その壁の向こうから甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「!!??」
それは聞き間違えようのない、だけど滅多に聞くことの無い彼女の悲鳴で。いじけていてもきちんと耳に届いたそれに、沖田は考えるより早く反応すると、ざばっと勢い良く立ち上がった。
しかし続けて聞こえてきた会話に動きが止まる。
「いきなり何しやがる、クソチャイナ!」
「なんでヨ、そんなに怒ることないネ!のケチ!」
すっかりなじんでしまった少女の声と、不本意ながら聞きなれてしまった少女の声。バシャバシャと水をかき乱す音に混じり、白熱した口論が続く。
「ケチじゃねーっ!いきなり人の乳鷲掴みにしやがって一体どんな教育受けてんだよ!」
「目の前にそんな触り心地よさそうなもんあったら触るに決まってるネ!これ常識!乳に失礼アル」
「触るなんてレベルじゃなかっただろ今の!もげたらどうすんだよ!」
「そしたら私が責任持って付けてあげるネ!の乳は私の胸で生き続けるヨ!」
一体女湯で何が行われているのか。
会話を聞く限り、おそらく、いや間違いなく神楽がの胸を触ったのだろう。
というか、鷲掴みにしたらしい。
壁を隔てた男湯に気まずい沈黙が落ちる。
「じゃあもうちょっと優しくするから触らしてヨ」
「ふざけんな。女が女の胸触って何が楽しいんだよ」
「男の胸なんか触ったって楽しくないアル」
「なら自分ので我慢しろよ」
「いやアル。だってマシュマロみたいで美味しそうヨ。何食ったらそんな風になれるアルか?」
「少なくとも酢昆布じゃねーことは確かだな」
(おいおい乳乳連呼しすぎだろ)
(マシュマロ)(マシュマロ)(マシュマロ)
(美味しそうって・・・・・・)
(マシュマロ)(マシュマロ)(マシュマロ)
(優しく触るってどんなだ!?)
壁の向こうから聞こえてくる頭の悪そうな少女ふたりの会話。
それに聞き耳を立ててしまった壁のこちら側はさらに頭が悪かった。
触らせろ、触らせないと押し問答している過程で神楽は絶妙な描写で狙う獲物を伝えてしまう。
つまり、の胸は触り心地がよさそうで、マシュマロみたいに美味しそうで。まだ幼いとはいえ、同性である神楽も思わず手を伸ばしたくなるほどの・・・・・・。
「今想像したヤツ、死んで下せェ」
ゆらりと立ち上がった一番隊隊長の手には、浴場だというのに何故か日本刀が握られていた。