2
ギャーーーーー
遠くで断末魔の叫びが聞こえる。野太い男の声が複数。一呼吸で出せる限界まで続いたかと思うと、その後パタリと止み、今度は物音一つしなくなった。
「騒がしいなぁ」
風呂の一つ二つ大人しく入れないものだろうかとは湯気で煙る天井を見上げ
た。
「ガキどもがはしゃいでるアルヨ」
さっきまで人の胸を狙って大はしゃぎだったヤツが何を言うか。
ようやく諦めてくれた話題を蒸し返せば、絶対に自分にとって良くない事態が訪れる気がして、は何も言わなかった。
最初の天井をぶち抜きそうなハイテンションな波が過ぎたら、一転。なんとも居心地の悪い沈黙が二人の間に降りていた。
真選組と万事屋とで貸し切り状態の旅館。
当然女湯は両陣営の紅一点二人であると神楽だけ。
静かになった神楽にはようやく気を抜き、お湯の中でぐっと伸びをし、縁に頭を預けてすっかりくつろぎモードになった。
一方神楽は、モジモジと何か話したさそうだったが、しかしタイミングを逃してしまい第一声が発せない。そんな様子でチラチラとの方を伺っている。
その視線に気づいているのかいないのか。
はまるで、私たちは偶然銭湯で居合わせた客にすぎません同じ地域に住んでいるかもしれないけれど真っ赤な他人です、とでも言わんばかりの態度。
「!」
「っふぁ!?何だぁ??」
「背中流しっこするアル!」
沈黙に耐えかねた、というよりタイミングを計るという行為を放棄した神楽の突然の叫びに驚いたは「お断りします」と即答していた。
「キミに背中なんか流されたらズル剥ける」
「ちゃんと加減するヨ!」
「背中くらい自分で洗えるんでお気遣いなく」
◇◇◇
しかしどうして自分は今備え付けの椅子に座り背中を流されているのだろう。つくづく自分の意志の弱さに呆れる。もともと子供には弱いのだ。加減すると宣言した神楽の手つきは逆に物足りないほど。鏡越しに見える一生懸命な顔に、妙な気分になってくる。
「―――は、私のこと嫌いネ」
「・・・・・・は?」
お返しに背中を流すだけでなく、鮮やかな色のその髪まで洗ってやったと言うのに何を言い出すのだろうか。
子供特有の細い髪はなかなか新鮮な感触だった。
「なんだ突然」
「サドヤローが言ってたヨ。は天人が嫌いネ」
「まあ・・・・・・嫌いだな」
何人のこと吹聴して回ってるんだあの不良警官。
きっと、だからに近付くな、と言うつもりだったのだろうが、その効はそうしていないようだ。まったくいらぬ世話をやいてくれる。
「なんでアルか?私と仲良くなりたいアル。かわいいしど突き合えるし
きっと楽しいヨ?」
「・・・・・・」
「私女の子の友達少ないネ。姉御は知ってるアルか?新八の姉御アル。それからそよちゃん。すっごくいい子ネ。きっとも仲良くなれるヨ」
「そよ姫・・・・・・」
「知ってるアルか!?」
「将軍の妹だろ」
少し前、ワイドショーで酢昆布を食べる将軍の妹君が特集されていたがまさかこの子が原因なのだろうか。
考えてみると自身、負けず劣らず女友達というものがいなかった。
というより、は顔は広いが「親しい」と冠を付けられる相手は極々限られている。これでもこの1、2年で急増したのだ。
「それとも、やっぱり夜兎なんかと、天人なんかと仲良くなりたくないアルか?」
の天人嫌いは有名だった。道端で横暴な振る舞いをする天人をボコっては職質を受けているのはかぶき町でよく見られる光景だし、彼女の営む探偵社で天人は3倍の料金をふっかけられるのは裏の道では有名だった。
正直願い下げだと思っていた。
だから万事屋とも、店主以外とは極力関わらないようにしてきた。
「あたしさ、幕府嫌いなんだ。多分そこらの雑魚浪志よりずっと」
幼いときに抱いた恨みは、世間をイタズラに騒がせ本懐を見失いがちな連中よりも高い純度で胸の奥に居座る。
「それなのに多分江戸で一番親しいのが真選組・・・・・・幕府の犬だ」
「・・・・・・犬に罪は無いアルよ?」
大人しく耳を傾けている神楽に口元が緩む。
「それ以上に攘夷派も嫌い」
目の前で大切な人を奪われた、その恐怖と恨みが混ざり合い、攘夷浪志への嫌悪感は幕府へのそれより上かもしれない。
「でもさ、攘夷戦争のかつての英雄様とは甘味仲間だし、現役バリバリの志士様にはしょっちゅう蕎麦ご馳走になってるんだ」
皮肉気な笑みが口元に浮かぶ。
肘より先で軽く水面を叩くと、ぱしゃんと小気味良い音が響いた。面白くなってぱしゃんぱしゃんと続けて腕を打ち付けてみる。
神楽はジッと波立つ湯を見つめたまま。天人の、自分の名前が出てくることへ期待を込めて耳を澄ます。
だけどの話は打ち止めの様で、最後まで触れて貰えなかったことへ落胆した。
目に見えて落ち込む少女が可愛らしく、でもあまり罪悪感が生まれないあたり、やっぱりまだ天人は好きになれていないのかも知れないとも思った。
このまま放っておいたら泣くだろうか。と、どこぞのサド王子のような思いが浮かんだ。
ぱしゃん
「うぷっ」
やはり年下を泣かせるのは本意ではない。いたずらに水面を鳴らすだけだった腕の方向を変え、不景気なその顔に思いっきり浴びせかけた。
「なにするネ!」
「わかんないかなぁ。関係ないんだよ。幕府も攘夷も。キミたち天人が来なかったらあたしの大事な人たちはいなくならずに済んだ。でも何かを憎み続けるのってすげー大変なんだ。天人はもちろん嫌いだけど、『神楽』個人を嫌う理由にはならない」
きょとんとした瞳が見つめ返してくる。
「わかるか?天人だからっていうのはキミを嫌う理由にはならない」
「それって、友達になってくれるってことアルか?」
「さあ?あたし友達少ねーからな。友達のなりかたなんか知らねーよ」
突然輝くような笑顔を向けられ、ガラにも無く照れてしまう。
あっさり肯定してやれば良かったのだろうが、それには自身天の邪鬼すぎた。
お友達になりましょう、私たち今日から友達ね!なんて恥ずかしくてやっていられるか。
今にも飛びかかってきそうな喜びようの神楽を横目に(そろそろ逆上せてきた・・・・・・)と上がるタイミングに思いを巡らせていた。