祭りの代償
「―――ん・・・・・・うん?」
「ん?お?起きやしたねィ。気分はどうでィ?」
目を開けると、見知らぬ天井。
特徴のある変な喋り方を耳にし、は首を傾げる。
「え・・・・・・誰?」
「!?はあ?何言ってんでィ。いまどき記憶喪失なんて流行らねーぜィ」
「は?・・・・・・ここは・・・・・・―――っ!!??」
頭に靄でも掛かったかのように、思考が働かない。
は枕元にいる男は無視し、一先ず状況を整理しようと記憶を辿る。
そして弾かれたように飛び起きた。
「おい!?」
「痛っ―――」
飛び起きた拍子に左肩から胸に掛けて刺すような激痛が走る。
息がつまり、脂汗が噴き出すが、そんな事気にしている場合じゃない。
逃げなきゃ。
アイツが追ってくる―――
ふらつく体に鞭打ち、一目散に出口と思われる襖の方へ向かう。
「待ちなせィ。何考えてんでィ、この病み上がりが。大人しく寝てろィ」
「やっ!」
思うように動かない体はあっという間に追いつかれてしまい、部屋を出るどころか襖に近づく事も叶わなかった。
掴まれた腕に驚き振り払おうとするがビクともしない。
逃げなきゃ―――
自由な左手、負傷した方の手を懐へ伸ばし愕然とする。
いつも身に着けている武器が無い。
そしてようやく自分が寝巻きに着替えさせられていることに気が付いた。
なんで
ここはどこ
この人はだれ?
逃げなきゃ。
早く逃げないと―――
「ちょっと落ち着けィ。なーに混乱してんでィ。お前ェ一体どれだけ心配させれば気が済むんだ?」
「離せ!」
「はいはい、大人しく布団に戻りやしょうね〜」
「やっ――ぅきゃんっ!」
絶対的な力の差は抗いようも無く、小柄な体は先ほどまで寝かされていた布団へ再び放り投げられた。
衝撃で傷が痛む。
「――ッ」
「あ、悪ィ・・・・・・で、何だって?」
「・・・・・・・・・・・」
「?」
目の前の、見知らぬ男の口から発せられる自分の名前。
「おーい、ちゃーん?」
黒い服と対照的な明るい髪。
覗き込む瞳は仄暗い紅色。
整った顔立ちの男の人。
こんな人、知らない。
「っ!?あ、あなた、だれ?どうして私のこと知ってるんですか?」
「はあ!?」
警戒心を顕に、気味の悪いものでも見るかのように自分を眺めるの台詞に、沖田は絶句した。
「沖田隊長〜、ちゃんの様子どうですかー?」
そこにタイミングよく、空気の読めない監察山崎退が部屋へ入ってきた。
そして起き上がったを見つけると明るく声を掛ける。
「あ、ちゃん!良かった。目が覚めたんだね。ずっと寝っぱなしだったからみんな心配してたんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
は新しく現れた、この人の良さそうな男にも警戒の目を向ける。
やはり見覚えの無い顔だ。
露出している肌以外黒で構成された人物。
手に持ったラケットらしきもの以外取り立てて特徴の無い人。
地味だから?いや、地味でも人の顔は滅多に忘れないのが特技の一つだ。
一方山崎は返答の無いの様子に首を傾げる。
確かに自分はあまりいい印象を持たれていないかも知れない。
でもここまで無視される程でも無いはずだ。
「ちゃん?」
「山崎ィ〜・・・・・・の頭が悪くなっちまった」
「はあ?」
***
「名前は分かるかな?」
島麻医院の跡取りは若いながらも、天人の技術を積極的に取り入れているなかなか評判の良い医者だ。
当然とも顔見知り。
祭りの晩、運び込まれたを手当てしたのも彼だった。
今日も既に往診に一度訪れ、診療所に戻った所「がおかしくなった」と呼び戻されたのだが、嫌な顔1つせず再び屯所へ戻ってきた。
島麻が柔らかい声で尋ねる。
「」
それにははっきりとした声で答えた。
「年齢は?」
「11歳」
「なっ!?」
柱に寄りかかり、2人のやり取りを眺めていた沖田が息を呑む。
同じく控えている近藤と土方も顔を見合わせた。
11歳?
そんなはずは無い。
は16歳のはずだ。
しかし島麻は驚きをおくびも出さず質問を続ける。
「それでは、家族の方は?」
「・・・・・・」
「覚えていない?」
「・・・・・・いいえ、父と母は私が5つのとき亡くなりました」
「そうですか。それじゃあ、今家は?」
「・・・・・・っ」
「さん?」
「――っ、答えたく、ありません」
「そうですか」
「・・・・・・」
「最後に、何をしていたか覚えていますか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「どんな小さな事でもいいんですよ」
「・・・・・・答えたく、ありません」
「なぜ?」
「覚えていない」や「答えたくない」を繰り返すに、島麻は優しく問い続ける。
それに対してはただ黙り込むだけだった。
***
「記憶障害の一種でしょうね」
「「「記憶障害?」」」
一通りの問答を終えると島麻はそう診断を下した。
聞きなれない単語に一同声をそろえる。
ただ1人当事者であるはずのは、強張った表情で彼らを睨みつけていた。
「ええ、若干記憶の混乱が見られます」
「どういうことですか?」
「どうやら彼女は頭の中だけ、11歳の頃へ遡ってしまったようです」
「そんなことあるのか?」
「事故の後遺症で記憶が混乱する事は良くあることです。ただ彼女の場合、頭に外傷はありませんから何かよほどショックな事があったか・・・・・・」
「あの・・・・・・」
「ん?なんですかィ?」
島麻の言葉に絶句する3人を尻目に、ずっと黙ったままだったが口を開く。
その声にいち早く反応したのは沖田。
「ここはどこですか?」
「ここは真選組の屯所でさァ」
「しんせんぐみ・・・・・・」
「分かりやせんか?」
「・・・・・・いえ・・・・・・・・・真選組・・・・・・江戸?」
「そうでさァ」
中身が11歳と言われてもにわかには信じられない。
確かにぼんやりとしていて、いつもの溌剌とした様子は無いが見た目はあの祭りで氷を売っていたときのまま。
嬉々として定価の倍額をせしめていた時の姿を見ていた土方は苦い思いでその様子を眺める。
「・・・・・・逃げなきゃ―――」
「は?」
「逃げなきゃ―――早く・・・・・・アイツが・・・・・・ッ」
虚ろに呟き、立ち上がろうとしたところを、当然沖田は引き止めた。
衝撃が傷に響き、息が詰まる。
その様子に島麻はもう一度の傷を確かめようと、手を伸ばす。
すると虚ろだったその様子が豹変する。
島麻の手が体に触れた瞬間、は勢い良くその手を振り払った。
その場にいた誰もが呆気に取られる。
怪我人の力は高が知れているが、全力で払った腕に、島麻は尻餅を付いた。
はふらつく体に鞭打ち、いつでも逃げられるよう膝を立てる。
傷口から血が滲み始めるが、気にする様子は無い。
何か言おうとする沖田を島麻は視線で制した。
「・・・・・・さん、ここは安全です。真選組は分かりますね?」
「・・・・・・」
「武装警察、つまり戦うおまわりさんがたくさんいる所です。悪い人は近寄れません」
「・・・・・・」
「それに、ここにいる人たちはみんなあなたの味方です。誰もあなたを傷つけたりしません」
手負いの獣の瞳で全てを拒絶するに医師は優しく語り掛ける。
一切返事を返さない相手に、無理に近寄ることはせず、一言一言噛んで含めるように。
の様子は変わらない。
「いいですか。その傷では満足に逃げる事もできないでしょう?まずは怪我を治しましょう。逃げるのはそれからです」
もう一度手を伸ばす。
今度は振り払われる事はなかった。
***
島麻が開いてしまった傷口の処置をしている間、沖田は部屋の柱に身を預けたまま、微動だにしない。
肩口から胸元へ及ぶ刀傷だ。
近藤と土方は席を外している。
「傷、残りやすか?」
「範囲は広いですがそれほど深くありません。これ以上無茶をしなければ目立ちはしないでしょう」
残らない、とは断言できない。
沖田は苦い思いでの白い肌に目をやる。
傷には既に包帯が巻かれていた。
「沖田さんは、さんの恋人ですか?」
「は?」
「違いますか?相当親しいように見受けられますが」
「・・・・・・・・・・・恋仲じゃねェよ」
「・・・・・・そうですか・・・」
島麻は真選組お抱えの医師だ。
どこか人と一線を引いた年若い隊長が、1人の少女に執心だという噂は当然耳に入っている。
沖田は他の隊士に比べ、患者として会うことが極端に少ない。
だが、年若い隊長などというのは彼を置いて他にいない。
「何が言いたいんですかィ?」
のこともあり、苛ついた様子で黙り込んだ島麻に問い返す。
「さんと、あなたが特別な関係に無いのなら結構なのですが・・・・・・もし、そうであっても無理やり彼女の記憶を戻そうとするような事はしないであげてください」
「なんだって?」
「先ほどの様子をご覧になったでしょう?あの祭りの日、何があったのかは分かりませんが、彼女の意識を4年ほど遡らせてしまうような出来事があったのは確かです。その上、彼女のいる『11歳』の世界も決して平穏なものでは無い―――」
逃げなきゃと繰り返す少女。
普段の好戦的な姿はすっかりと身を潜め、ただ追ってくる「何か」に怯えている。
「じゃあ、一体どうしろっていうんでィ」
「とにかく、落ち着かせてください。ここが絶対安全だと教えてあげてください。―――もう逃げなくてもいいのだと」
「・・・・・・?あんた、一体」
妙に確信を持った言い方をする島麻。
それに気付き、問いただそうとする沖田を遮り、独り言のように続ける。
「先ほどのさん・・・・・・4年前に江戸で行き倒れていた時の様子と良く似ています」
「4年前?」
「はい・・・・・・これ以上は、私の口からは。今のこの子は手負いの獣・・・・・・いえ、追い詰められた兎、といった所でしょうか。傷が癒えるまでに、何とか安心させてあげてください。でなければ、彼女は動けるようになり次第ここを出て行くでしょう」
なぜに関わる人間はみな、中途半端にカードをチラつかせ、肝心な事は何も教えてくれないのか。
薬の所為で昏々と眠り続けるの寝顔を眺めながら沖田は行き場の無い苛立ちを持て余し続けた。