ガラス越しの恋心
「副長、追跡していた監察班帰還しました」
「ああ、報告しろ」
「はっ。機械技師の行方は掴めず、裏で手を引いていたと思われる高杉の行方も分かりませんでした!」
「分かりませんでした!じゃねェよ。何も分かってねーじゃねーか」
「すいません。でもちょっと気になる証言が・・・・・・」
「なんだ」
「・・・・・・その高杉と・・・・・・その・・・」
「あ゛?はっきり喋りやがれ」
「はあ・・・・・・あの混乱の中で、どこまで信憑性があるか分かりませんが、高杉と対峙していた人物がいたそうです」
「ほぅ?その人物は?」
「・・・・・・はっぴを着た、髪の長い、小柄な少年」
「・・・・・・・・・・・・」
「更に、しばらく何か言い合っていた後、斬りあいになったそうです」
「・・・・・・・・・・・・」
***
「具合はどうですか?さん」
往診に訪れた島麻をはちらっと見ただけで視線を逸らした。
その様子に島麻は苦笑する。
失礼します、と断り傷の具合を見ている間も大人しくしているものの、じっと息を詰め早く診察が終わるのを待っている。
まだ生々しく血の滲む傷口を丁寧に消毒して行く。
沖田には目立ちはしないだろうと言ったものの、傷は残るだろう。
「はい、これで消毒は終わりです」
「・・・・・・ありがとう、ございます」
ぽそっと呟かれたお礼に島麻はほほ笑む。
「まだ運動は控えてくださいね」
は何を考えているのか分からない目でじっと傷口を見ていた。
覚えのない刀傷。
「あの・・・・・・」
「はい?」
「・・・・・・私の頭、どうなってるんですか?」
見上げて来る目は、きっと本人が思っている以上に不安げに揺れていて。
改めて、この子の中身は10を過ぎたばかりだと言う事を気付かされた。
見知らぬ大人ばかりの所で、重傷を負って目覚めるなんて一体どんな気分だろうか。
「あなたは、頭のいい人ですね」
「頭のいい人は、物事忘れたりしません。それも5年分も」
「4年分ですよ?」
「・・・・・・最近のことも、分からないんです。――――――すっごく嫌なことがあったんです。でもそのことしか分からないんです。・・・・・・だから5年分です」
新たに明かされた情報に島麻は目を見張る。
祭りの晩、を内面に逃避させる様な出来事が起きたのは確かだ。
そして逃避した先でも、何か記憶が曖昧になるほどの事が起こっている。
一体何がこの子を苦しめているのか。
「残念ながら、私は精神内科は専門外ですから何とも言えません。いろいろ調べてみますから、もう少し待って下さい。今はとにかく養生することに専念しましょう」
「もう、大丈夫です。消毒は自分で出来ますからもう―――」
「――また明日来ますね」
もう来るなと言う少女の心は分からない。
眉をしかめて俯く頭を撫でてしまいそうな手は宙を彷徨った。
***
「ー、おやつの時間ですぜ〜」
診察が終わり、島麻が帰る支度をしていると、およそ遠慮と言うもののカケラも無い調子で襖が開け放たれた。
見回り帰りだろうか、隊服姿の沖田が入って来る。
「あ、島麻せんせー。こいつもう起き上がってもいいですかィ?」
「ええ。ですがしばらくは安静を続けて下さい。まだ傷は塞がりきってませんから」
「分かりやした。―――、今日は縁側で食べやしょう。いい天気ですぜ」
安静の意味がイマイチ分かっていない沖田の言葉に島麻は苦笑する。
彼にとって、屯所の中は安静の範疇のようだ。
「ああ、さん、おやつの後で良いですから薬飲んでくださいね」
「いやです」
「」
「・・・・・・わかりました」
相変わらず薬を拒み続けるは、しかし沖田に窘められると渋々とではあるが頷いた。
その様子に島麻は軽く目を見張る。
用は済んだとばかりには沖田の隣をすり抜け、廊下へと出てしまった。
恐らく、言われたとおり縁側に向かったのだろう。
「・・・・・・驚きました」
「何が?」
「まさかこんな短期間で彼女の心を開くなんて」
「別に、何もしてませんぜ」
「そんなはずは無いでしょう」
「・・・・・・ただ、俺が近藤さんにしてもらったようにしてただけでさァ」
たった一人の姉以外、誰にも心を開かなかった幼い自分。
頑なに守っていた脆く堅牢な領域に、いとも簡単に踏み込んできた近藤さん。
だから同じ事を。
全く同じは無理でも、俺は覚えている限りのことをにしてあげようと思ったんだ。
***
強過ぎない、心地よい陽が射す縁側に並べた2つの座布団。
その1つにはちょこんと腰掛、脚をブラブラと投げ出していた。
間には見回りのついでに買って来た団子の山。
初めて、今の状態になって初めて沖田の持ってくるおやつの量を見たはその非常識な量に驚いた。
そして驚くに沖田が驚いた。
さらに驚いた事に、今のはさほど甘味好きでは無いらしい。
と言えば甘味、それも和菓子という方程式がすっかり出来上がっていた沖田の差し入れは常に甘味だが。
散々に連れ回された茶店の団子を日替わりで買ってくる。
どれか一つでも、記憶を戻す手掛かりになりはしないかと。
しかし今のところ、記憶が戻る様な気配は無い。
「今日は3丁目の茶店でさァ。ここはみたらしが美味いんですぜ」
とすん と軽い音を立て、沖田も座布団に腰を下ろす。
綺麗に積まれた山から一本とってやり、に手渡す。
しばらくくるくると串を弄んでいたは、沖田が自分のを1つ口に運ぶとようやくぺろりとタレを舐めた。
口の中に広がる甘辛いタレ。
団子を口に入れ、咀嚼するともちもちとしていて、歯には張り付かない絶妙の感触。
確かにこれは美味いかもしれない。
だけどこの量は一体どうしたものか。
沖田は『』は無類の甘味好きだと言っていた。
だけどそれは違う。
甘いものが好きだったのは、米の変わりにあんこを主食にしたいとすら言い兼ねない程の甘味好きは――――――。
「美味くねェかィ?」
「え?」
「ひでェ面。団子が可哀相でさァ」
「美味しい・・・よ?」
「ならそれなりの顔をしろィ」
「・・・・・・美味しいモノ食べて、必ずしも幸せになれるワケじゃない」
ぽそっと呟き、仏頂面で次に手を伸ばしたの頭に、沖田はそっと手を伸ばす。
つい先日までと全く変わらない外見。
中身だけが違う。
それも全くの別人では無く、これが幼い頃のだと言う。
沖田はこの先の対応を決めかねていた。
自分の事はもちろん思い出して欲しい。
一体何が起きてこんなことになったのか。
問い詰めて、二三発殴り飛ばしたら思い出すだろうか。
距離感が分からない。
いつも俺はどうしていた?
どんな風にに触れていた?
決して四六時中べたべたと触れ合うような関係じゃなかった。
だけどこんなにもどかしくて、伸ばした手のやり場に困るような関係でもなかった。
数瞬躊躇った後、伸ばした手で少なくとも自分のものよりは小さなその頭を包むように撫ぜる。
(確か―――最初は驚いたけど、嫌じゃなかった)
まっすぐ庭のほうを向いたままのの体が跳ねる。
しかしそれも一瞬。
振り払われる事は無かった。
そのまま調子に乗って1つにまとめた癖っ毛に指を絡ませる。
変わらないその感触に、やるせない衝動を抑えるので精一杯だった。