21.寄りかかるインディペンデンス・デイ
夏至を迎える前の朝日は優しく柔らかく。
日の出とともに鳴き出す小鳥と共に緩やかに目覚めを促す。
用事があって目覚ましをかけると起きるのも一苦労だというのに、予定の無いときに限ってすっきりと目覚められるのはどういう訳だろう。
目覚めの一考には難しすぎる問題を早々に放棄したは爽やか目覚めと裏腹に、のったりと起き上がる。
比較的気分良く浮上した意識も、取り巻く空気の重たさに眠りの縁とは違う、どこか別の場所に沈んでいく。
雰囲気の話ではない。
物理的に、重たい。
「まあ、梅雨だから仕方ないんだけどね」
朝の第一声が、「おはよう」ではないのは一人暮らし故。
交わす相手がいなくては、挨拶など意味がない。
かと言って今の呟きに何か意味があったのかと言うと、それはそれで甚だ疑問だが、口に出して自らに言い聞かせないとやっていけない。
具体的に言うと、この湿度計のごとく大気に反応する髪をバッサリ切ってしまいたくなる。
まだ夏は先だというのにうなじにこもる熱が嫌だ。
鏡を見なくてもわかる。
視界の端に映る一房は、パーマを当てた直後のようにキツく巻いている。
乱暴に手櫛でかきあげると、その重たさにウンザリした。
の髪は、万事屋店主のそれほどもじゃもじゃしたいわゆる天パとは違うが、違うと言い張っているが、ストレートとは口が2つになっても言えないくせっ毛だ。
長い分、まとめて縛ってしまえばとりあえず視界から消える。
しかし根元を縛る紐の太さは明らかに常より太い。
例えそうは見えなくても、本人にはわかるらしく、身支度を整え出掛けたときも不機嫌は直っていなかった。
外見を気にしないのストレートへの憧れは幼少時代に遡る。
もともと母親譲りの髪をは気に入っていた。
忙しい父が頭を撫でるとき、まだ細く柔らかかった髪に指を絡ませ遊ぶのが好きだった。
今でもこのくせっ毛は嫌いじゃない。
だがには珍しく、しかし世のくせっ毛天パと同じくストレートに憧れる理由は、なんてことはない。
例によって、大好きな師匠が綺麗なストレートだったからだ。
朝10時。
裏口から真選組に侵入したはパッチリと目があった衝撃的なアイマスクに頬を引きつらせる。
何度見てもビビる。
そしてむかつく。
以前自分がされたように思いっきり引っ張ってパシンとやってやりたいが、その後降りかかるだろう仕打ちを考えると止めておいた方がいい気がした。
それにしても。
朝から涎まで垂らして昼寝とはどういうことだ。
仕事をしろ、公務員。
そして侵入しやすすぎるぞ真選組。
忍でも何でもない自分が咎められることなく入ってこれてしまう。
見逃されているのではない。
本当に監視の目が無いのだ。
(もしかして、こいつが見張りとか?おいおい、本格的に仕事しろよ。侵入されてますよー)
直行せずに少し迂回して、足音を殺して後ろから近づく。
柱に半身もたれかかり、完全に脱力する背中に忍び寄り、そっと手を伸ばすと突然、とんでもない強さで腕を前に持って行かれた。
顔面を黒い背中に強かに打ち付け、鼻に火花が散った。
「んなっ!?」
「何してんですかィ?」
「おま!?起きてたのかよ!」
「俺の目を盗んで侵入しようたァ、5万年早ェ」
「目見えてねーじゃん。外せよそれ気持ち悪い」
「気持ち悪いとか言うな」
「きーもーいーぃてててて、暴力反対!筋切れる」
不自然な体勢から腕を捻られて悲鳴があがると沖田はフフンと満足そうに笑って解放する。
このサディストがっと罵るのは心の中に留めておく。
放された手で、異様な眼力を滲ませるアイマスクをはぎ取ると、押さえられていた髪がサラリと揺れて、重力に従い元あるべき場所に収まる。
一部始終を間近で捉えたは目を疑った。
なんだこのサラサラは。
こんなの髪じゃない。
きっと形状記憶合金か何かだ。
こめかみから後頭部に向かい、手櫛で梳くと指が通った先からサラサラと、逃げていく。
ありえない。
こんな髪認められる訳がない。
認めたら負ける気がする。
「何なんですかィ」
「ずるい」
「はぁ?」
「ずーるーいーっ!なんだよこれ!おまっ、これはねーよ反則だろ。髪ってのはもっとこう、あれじゃん?なあ!?」
「わかんねェよ」
の言いたい内容は伝わらないが言わんとするニュアンスはばっちり伝わった。
「髪がなんだって?」
背中にいるには見えない口元にはニヤニヤと笑みが浮かんでいる。
触れてくる感触から当たりをつけた沖田が腕を伸ばしてくる。
背中に目かついているのではないかと思うほど正確に頭、というか髪を狙ってくる手を当然避ける。
自分は沖田の髪を弄んだまま、2度3度と攻撃をかわすと痺れを切らした沖田は体を反転して半ば本気での頭部を狙う。
触られてたまるかと、も本気で防御に入る。
どすんばたんと激しい攻防の末、初めからマウントを取られていたは束ねていた髪を解かれ、満足そうな沖田の腕に収まっていた。
サラサラの髪からも引き離された指を悔しげにわきわきと動かす。
すっかり立場が逆転してしまった。
きっと今、解かれた髪には結った跡がついていて、もともとふわふわ好き放題のクセはさっき暴れた所為で最早手の着けられない状態だろう。
見えないけど。
見たくもないけど。
さっき自分がしていたように、こめかみから指が差し込まれ、後ろへ梳かれる。
それはそのまま帰って来ず、後ろ髪と同化するのが感触で分かった。
さっきまで自分が遊んでいたサラサラが目と指に焼き付いているは居たたまれない気持ちになる。
ムカつくような、泣きたいような。
口をへの字に、眉をハの字に歪めたを知ってか知らずか沖田は楽しそうに傷みの無い漆黒の波で遊んでいた。
沖田はがその髪を視界にさえ入れないよう、遠くを見ていることに気づきわざと肩から前へ流してやる。
一房指に絡ませくるりと捻るとそのままの形を保ち、指を引かない限り絡まったまま。
無骨な指に絡みつくしなやかな黒が視界に心地よい。
いつしか夢中になってくるくると遊んでいると、いろんなことを諦めたはため息と共に脱力した。
「やな奴」
「知らなかったんですかィ?」
「知ってたよ」
「ほら、見なせィ」
「やだ」
「剥くぞコラ」
なにを?とは恐ろしくて聞けない。
渋々視線を下ろすと、散々いじられた所為で朝より一段とふわふわ巻いた髪が視界に入る。
「今度は何のイヤガラセですか」
「俺がいつイヤガラセをしましたか」
「今。現在進行形」
「どこがでィ。ほら、見なせィ」
「だから見てんだろ」
「わかってねェなァ」
肩口でくるくると人の髪を弄ぶのは沖田の、女の自分と比べたら大分無骨な指。
遠目には分からないが所謂剣だこと言われるものや、幾度となくマメを潰した跡がある。
それに指自体の長さも手伝ってか、自分で梳いた時に以上にうまく絡まっている気がする。
男にしては白い指に、黒い螺旋が絡みつく様子は嫌悪感をかきたてる。
怪談に出てきそうな、例えば水辺で遊んでいるとき、引き上げた腕にこんな風に髪が絡み着ていたら怖いな、と。
「んな嫌うもんじゃねェだろ。ふらふら捉え所のねェ本人と違ってちゃんと逃げねェお利口さんでィ」
別にふらふらしてないとか、ましてや私がいつ逃げましたか、とか反論しようにも、前科がありすぎる所為で上手く行かない。
それよりも。
「キミみたいな髪のヤツに言われたって説得力ねーんだよ」
指通りよくサラサラと逃げてくヤツがなにを言う。
だが真選組と言う確かな居場所に隊長という地位がある沖田から見たら、は家こそ真選組持ちだが定職は持たず、確固たる思想も持たず、事が起こる度にあっちでふらふらこっちでふらふら・・・・・・ああ、確かにふらふらしているかも知れない。
嬉しそうに、愛おしそうに飽きもせずくるくると髪をいじり続ける沖田に、少しだけ反省した。
これでも大分落ち着いてきたのだが。
「―――安心しろィ。もちゃんとお利口さんでさァ」
「・・・・・・はい?」
「だから拗ねんな」
「・・・・・・頭大丈夫か?」
ちょっと我が身を省みて黙り込んでしまったのは、髪に妬いてだと思われたらしい。
自分の髪に。
いくらなんでもそんな可愛らしい回路は持ち合わせていない。
「あ、ちょっと喜んでる?」
「うるさい」
しかもお利口さんと言われて喜ぶなんて有り得ない。
ちょっと気分が浮上した自分はもっと有り得ない。
やっぱり行動は改めないことにしようと心に決めた。